ほんとーく

本について語ることは基本的に楽しい。お気に入りの本のことや、読んだ本にまつわる記憶や
著者へのこだわりを、たまに誰かと一緒に共有したくなる。
というわけで、ボーダーインクの本に限らず、県産本やら、いやいろんな本をネタにして
あれこれと、ユンタクヒンタク(ハッピー・トーク)してしまおうというのが、このコーナー。
「ここだけの話」ということなので、すぐに脱線していまいそうだが、そういうのもよし!

2012年11月29日

本は寝ころがって

皆さんは本をどんな風に読んでいるだろうか。

 

 

若かりし頃、僕はどこでも読めた気がする。また結構どんな姿勢でも読んでいた。
でも一番多い姿勢は家で寝転がって読む、だった。
確か小林信彦の本で『本は寝ころんで』というタイトルの本があったが、まさにそれである。どんな傑作も難しい本も、基本は寝っ転がって読むものだった。

 

 

 

ところが歳とってくると、寝転がって読む、ということが難しくなってきた。
いやもちろん読むのだけど、長時間読めないのである。
眠る前に読み始めて、あまりのおもしろさに夜を徹してしまった、なんてことがあったのに、今は首が肩が腕がよく分からない場所が痛くなる。寄る年波か、長年の姿勢の悪さの蓄積か。
さらに最近は、すぐ寝てしまう。
今、金城芳子著『なはをんな一代記 』(沖縄タイムス選書の方)を、就寝前に読んでいるのだが、波瀾万丈な人生をきっと送るであろう芳子さんは、まだ戦前の那覇から一歩も出ていない。
僕がすぐに眠りに落ちてしまうからだ。
落ちる、とはよく言ったものだ。手から本が滑り落ちて、はっとする日々が続いている。

 

 

40代後半になってからの現象だが、本を読む場所に難儀するようになった。
自宅で読むと先のような事態になるので、外で読みたいのだが、なかなかしっくりとくる場所は少ない。あちこち移動しながらの読書が続いている。生きづらい時代だ。
一番の望みは、ブック・バー、もしくは、本の居酒屋である。もちろん個人的にはやっているのであるが、夜の店でそれらは少数派である。店全体がみんな読書している、という店が一件くらいあるといいなと思って、最近夜な夜な歩き回っているのだが、なかなかそうそう、うまくはいかない。

 

 

今日も家に帰ると芳子が待っている。
今夜こそは……と思うのだが。

 

 

※ちなみに『なはをんな一代記』はとってもよく出来ている本です。タイムス選書ってすげーなーとこの歳になってわかりました。歳をとるのも悪くはないなと思う……こともある年の暮れである。

 

 

 

新城ヘーイ和博(ボーダーインク)
たまには宣伝してみよう、『うっちん党宣言』ほか。

2012年11月10日

〔ほんとーーく〕知られざる傑作だと思ふ『ガジュマルの家』

時折書評を頼まれることがある。
ただで本がもらえる訳だから、ほぼなんでも受けている。でもまぁだいたい沖縄関係、ということになるのだか。
不思議なもので、なんとなーくこれ書評したいなぁと思う本が、すーっと寄ってくる感じで頼まれることが多い。最近では『兵隊先生』や栽監督の本『沖縄を変えた男』などがそうである。
ただ中には、頼まれるまでまったく知らない本というのも、もちろんある。それで読んでみてものすごくおもしろかったりすると、何倍も得した気持ちになる。
ここ数年の間でいうと、つい最近書いた『沖縄幻視行』と、もうひとつが『ガジュマルの家』である。この小説、 大島 孝雄という八重山出身の方が書いた作品だが、これがこれが、ほんとおもしろかった。
でもこの作品って、なんでっていうくらい知られていない。ここ数年の、沖縄を舞台とした小説の中ではダントツで(というほど知らないけどね)、おもしろかった。傑作といっていいと思う。
古書店のあの人やこの人にも聞いてみたけど、知らなかった。うーむ。まぁ僕も書評を頼まれなかったら知らないままだったろう。
というわけで、その時、どういう書評を書いたのか、確かめてみよう。沖縄タイムスの書評欄に掲載されたもの(2009年1月?)。

 

 

書評
『ガジュマルの家』  大島 孝雄著

キジムナーが現代もこの島に存在しているか。沖縄が抱えるもっとも大きな文学的命題である。いや、真剣な話だ。キジムナーという[木の精]を伝承の世界から連れだし、沖縄の歴史や社会の変動を映し出す存在として描く手法は、絵本や童話の世界で先行している。キジムナーは、ある意味定番ともいえる沖縄の文学的トリック・スターだ。本作において石垣島出身の作者はキジムナーを語り手とするために、こう物語を始める。〈ぼくが人間に生まれ変わって、もうすぐ二十四年になる〉。なるほど、うまい設定である。

 

イシャナギ島(石垣島)を舞台に、その「ぼく」が人間となる遙か昔十五世紀のオヤケアカハチの時代から、幾つかの世替わりと災害に人災、大きな戦争をまたいだ一九八〇年代までを描く[寓話的年代記]である。
シャコ貝から生まれた男の子、マブイがふらふらと歩き回る海人、在番の島妻とその夫と子どもとその妻、世代わりで日本を恨みつづける御主前、墓で生まれた少女、本を読み続けるガジュマル……その他大勢の人と物たちが次々登場し(中には実在の人物らしき人も)、ある時は摩訶不思議な伝承的エピソードを、ある時は実際に起こった出来事を織り込んだ現実的な逸話が語られていく。

 

島の人間にとっては、どこかしら聞き覚えのある話で、戯画的に描かれており、鏡に写しだされた我々の姿のようで、おもしろい。数あるエピソードは、作者が島で見聞した話も反映していそうだ。
物語の中で、王国は辺境、未開の地となり、島人は日本人になり、島言葉は共通語になる。そして生者は死者となり、まるで夢を見ているかのように、ふたたびこの世に現れる。全ての事象は、人の意識に呼応して変身していく。こうした現実と非現実的な世界が混在して語られる「マジック・リアリズム」の手法は、沖縄を描く際に極めて有効だが、本作はその傑作として、これからもっと評価され、読まれるべきだろう。

 

キジムナー=異形の想像力はこの島でまだ存在すべきだ。

 

 

……とまぁこんな感じだった。
いつか大島氏に連絡を取ってアルコトを相談したいのだが、どうすればいいのだろうと思案しているのである。
ちなみに今、「ガジュマル……」という検索をかけると、だいたい「ガジュマルファミリー」があがってきたりするのだ。いいはずよ。

2012年11月01日

最初が寛惇 那覇ポタリングと『南島風土記』

最近、趣味と実益を兼ねて試みていることがある。僕の趣味といえば、「那覇の街ポタリング」であることは有名である。ポタリングとは、自転車での散歩といった意味合いの言葉だそうで、いにしえの那覇の町の風景を思いつつ、現在の那覇をぶらりぶらりと自転車で散歩して、ついでに原稿のネタにして、いつか本にまとめたいという野望すらある。

 

那覇の自転車散歩 

 

現在の那覇、ではなく、あくまでも、戦前までの明治、大正、昭和のモダン那覇の姿を追い求めている。戦争でその全ては破壊されてしまいその残滓を探すことは非常に難しい。ではどうするのかというと、昔の那覇が描写されている本を読んで、ひたすら妄想した後に、那覇ポタリングすると、あーら不思議、今は無き那覇の町が蘇った気持ちになるのである。

 

その妄想ポタリングのガイドとして重宝しているのが、東恩納寛惇の『南島風土記』である。要は地名辞典なのであるが、原稿が書かれたのが戦前なので、地名にまつわるあれこれの描写が、戦前の沖縄を残しているのである。僕は特に那覇を中心に読んでいるのだが、これがまたおもしろい。たまたま実家にあった復刻版を手にしてつらつら読んでいるうちに、これをいにしえの那覇ガイドブックにしてしまえと思いついたのだ。

 

そもそもの那覇というのは、那覇四町(なはよまち)といわれる西町・東町・若狭・泉崎あたりである。それに久米村、久茂地、泊、前島などを加えて、那覇ポタリングしている。少し重いのだがウエストバッグに『南島風土記』を入れて、要所で本を開く。勿論その際には、那覇の民俗地図のコピーはかかせない。これは那覇市史関係の書籍で手にはいる。

 

風景はずいぶん変わってしまったけれど、那覇の街角で読むというのが面白いのである。パレットくもじ二階のクライマックス・コーヒー、国際通り安里よりのさいおんスクエア一階のカフェ、そしてとまりん一階のデッキのコーヒー屋さんと、できるだけオープンな空間で、いにしえの那覇が描かれている本を読む。非常にささやかな趣味であるが、なかなか豊かな気持ちになれる。

 

ただ夏は死にそうに暑いので、おすすめはできない。

NEWS お知らせ
2018年08月14日
もうすぐ30th anniversary ボーダーインクフェア 9/1(土)~9/30(日)ジュンク堂那覇店1Fにて
2018年05月18日
「ボーダーインク図書目録2018年夏」を制作いたしました。多くの新刊、そいて既刊本が約200点掲載されています。ご希望の方はボーダーインクまでお問い合わせください。