ほんとーく

本について語ることは基本的に楽しい。お気に入りの本のことや、読んだ本にまつわる記憶や
著者へのこだわりを、たまに誰かと一緒に共有したくなる。
というわけで、ボーダーインクの本に限らず、県産本やら、いやいろんな本をネタにして
あれこれと、ユンタクヒンタク(ハッピー・トーク)してしまおうというのが、このコーナー。
「ここだけの話」ということなので、すぐに脱線していまいそうだが、そういうのもよし!

2016年12月28日

ガラガラ石畳 vo.13

garakanban
 

 
クリスマスが終わって、また急に寒くなった。
おかずの店「かのう家」の温かいキムチスープが冷えた体に染み渡る。
肉屋の前には行列ができていて、もうすぐ正月なんだなぁと実感する。今年が終わる寂しさと新しい年が始まるのだという清々しさが市場にも漂っている。
小書店のある通りでは、大きな別れが待っている。65年続いた「池原化粧品店」が閉店するのだ。
70歳まで店を続けると決めていた池原さんがお母さんのお店を継いで50年。今年の12月31日が「池原化粧品店」の最後の日だ。
池原さんがこの通りに及ぼす影響はとても大きい。優しい笑顔でうんうんと深く頷きながら話を聞いてくれる彼女がいるだけで、安心するというか、なんだか大丈夫だという気持ちになれる。だから、みんな心配事や秘密を彼女に打ち明けるし、彼女はそれをすべて受け入れるような器の大きい人なのだ。人のいいところを探すのが上手な彼女と話していると、みんな幸せな気持ちになるのだろう。
お客さんも長く座る人が多くて、席を外せない彼女の代わりにお弁当を買いにいったこともあったし、わたしと向かいのKさんが店で鍋をするときなどは彼女を誘い、彼女が鍋を食べている間、店番などを買って出たりした。それくらい、お客さんが多い店なのだ。「あい、あやちゃん悪いさー」「大丈夫。小書店はいつも暇だから…」
 

店が閉店する前にと、乳液を買うついでにおしゃべりをする。
「わたしはね、本当は行きたい高校があってね。でも、母の体の調子がよくなくて。長女でもあったから、卒業してからはすぐお店を継ぐということになって先生とも相談して商業高校へ進んだのよ」
いつもは人の話を聞いてばかりの池原さんがゆっくりと話しだす。
「自分がね、お母さんの代わりに働かなければということがあったから、夢を持ちたくても持てなかった。だから、子供たちにはいつでも夢を持っていてほしかったの。お母さんは大学までは行かせられるよ。内地へは行かせられないけど、あなたたちが行きたかったら、沖縄の大学は行かせられるからねってずっと話してたよ」
彼女のお子さんがみなさん優秀だということは聞いたことがあったけど、話を聞いてみると、なるほど、彼女の育て方が素晴らしいのだった。
一生懸命働きながら子育てをしていた彼女は、このままだと体を壊してしまうと医者に言われたことがあったそうだ。彼女は、医者に言われたことを子供たちに正直に話した。すると、子供たちは家事を分担してやるようになった。それだけではなく、毎日交代制で閉店時の手伝いもするようになったという。「受験生のときまで手伝ってくれてねー。」夜になって店を閉める手伝いをするために市場へやって来る子供たちの姿を想像すると、胸がキュウとなる。思春期で一番親に反抗する時期なのに。
「子育ての勉強になるなぁ」と呟くわたし。「そうよ、子供にも仕事にも正直なことが一番だよ。そうすると、子供たちはわかってくれるからね。お客さんだってそうよ。」
仕事が忙しくてビーチには行ったことがなかった。でも、学期末には成績に関係なく3人の子供たちと一緒にホテルに食事へ出掛けた。
「最初はビュッフェが食べたいと言うから昼食を食べに行ったのだけど、そうするとお客さんに会うのよね。だから、落ち着いてわたしたち家族だけの時間を過ごせるようにディナーを食べにいくようになった。それがわたしたち家族の恒例行事。だから、子供たちはビーチへは行ったことがなかったけど、小さい頃からフォークとナイフの使い方は完璧だった」と笑う。
「あ!あと、音楽!わたしは音楽が好きでね。音楽と本だけは買ってあげた。ゲームは一度も買ったことないんだけどねー。だから、子供たちは今でもみんな音楽が好きなの」
(そうそう、池原さんは小書店の本もよく買ってくれる。中でも、澤地久枝さんをよく読まれている)
池原さんは菅原洋一という歌手が昔から好きなのだそうだ。その菅原洋一が数十年前に参加した研修のゲストとして登場したことがあった。「わたしはなんてラッキーなの!」と感激したことを、今でも覚えているそうだ。まるで、若い女の子と話しているみたいだ。とても可愛いらしい人だから。
去年、その菅原洋一が沖縄でディナーショーを開いた。娘さんから「一緒に行こう」とすぐに電話があったそうだ。歌を聴いている間、涙が止まらなかった。「人生が重なってね、色々と思い出してずーっと泣いていたのよ。いつもはお酒を飲まない娘に、今日は一緒に飲もうって言ってね。飲んだら、またわーって泣いてね」
そう言いながら、池原さんはまた泣いた。「もう、最近は毎日泣いているのよ。昔のお客さんも来てくれるし、毎日が同窓会よー」
 

「あやちゃん、栄町はとてもいい町よ。みんなさ、すべてがうまくいっている人ばかりではないでしょう。弱い人や、大変なものを抱えているお客さんもいる。でも、そういうお客さんに接してきた分、とても優しくなれるんだよね。毎日、昔のお客さんが訪ねてきてくれると、やってきたことは正解だったなぁって思うよ。50年間正直にやってきてよかったなぁって。」
 

学生時代にも社会人生活でも出会いや別れを繰り返してきたはずなのに、市場に座ってからの出会いと別れが特別だと感じるのはなぜだろう。市場に座ってからまだ2年半そこらなのに、心に残る出会いと別れがたくさんあった。
人の人生をたくさん見てきたから、優しくなれるし、正直になれる。わたしが会いたかった人たちが市場にはたくさんいる。
そんなことを思った、2016年の年の瀬なのでしたー。よいお年を。

<ほんとーく>連載を全て読むことができます

 

 

宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。

メルマガ『宮里小書店便り』

2016年12月09日

ガラガラ石畳 vol.12

garakanban
 

 

最近、暑かったり寒かったりで、店番の服を選ぶのも難しくなってきた。寒いときには20度を下回りそうなのだから、辛い。ブルブル。
 

間口が大きく開きっぱなしの小書店は、風が吹けばまるで外にいるようだ。そんなわたしの店番を支えてくれているのは、「おかず屋かのう」の温かいスープやおでんだったりする。
市場に座るようになってからしみじみ思うのだが、寒いときに食べる温かな食べ物は体だけじゃなくて心も労ってくれる。
小書店の向かいのKさんと並んでスープを飲む。具沢山で生姜たっぷりのスープはすぐにわたしたちのお腹を満たしてくれた。
「みそ汁って温まるねー。でも、すぐお腹いっぱいになるさー。おかず食べきれなくなるのが難点だ」とKさんが言う。
「わたしはお腹いっぱいになってもみそ汁あったほうがいい。具がなくてもいいから、スープだけでも飲みたいよ」と言うと、「あい、あやちゃんのみそ汁は太平洋ね?」
Kさん曰く、具のないみそ汁を沖縄人は太平洋と呼ぶらしい。知らないの?とびっくりされたが、全然知らない、、、なんてスケールの大きな言葉なんだ。ただのみそ汁が大海原に見えてくる。
太平洋のことをさっそく店長に話すと、やっぱり聞いたことがないという。「豆腐だけ浮いていたらなんて言うのかな?太平洋ひとりぼっち、かな」
 

市場に座り始めてから、このような新鮮な言葉遊びをよく耳にするようになった。
例えば、「足が三本あるねー」。昨日まで元気に歩いていた人が杖をついて歩いていると、挫いたの?どうしたの?と聞く代わりに、「あい!足が三本になっているさー」と話し掛ける。杖を足に見立てるとは。ウィットに富んだ言葉だ。
車社会である沖縄で自家用車やタクシーに乗らずに歩く人には、「テクシーに乗ってきたの?えらいねー」と言う。テクテクよく歩く人のことをタクシーになぞらえたらしい。響きもかわいいし、テクシーに乗ってきた人は「テクシーはタダよ〜」なんて返したりもする。
店番中によくある会話なのだが、年配のお客さんが「本は昔よく読んだよー。でも、最近は目が見えなくなってるからねー」
そしたら、すかさずKさんが言う。「目が四つになったんだ」
「足が三本」と同様、ネガティブになりがちな体の不調や老化を笑いに変えるユーモアのある言葉だ。老眼になり老眼鏡をかける様を見て、目が増えたじゃん!的な。
わたしが一番好きな言葉は、「デザートがある」だ。市場には病院帰りやこれから病院へ行く、というお客さんが多い。「薬がまた増えるんだよ。もう、いやさー」それに対して、「デザート増えたんだねー」
言われたお客さんはクスッと笑うし、「わたしは、デザート二個あるさ」「わたしなんて、五つよー」と、会話が広がっていく。スマートでお洒落な会話だなぁといつも感心してしまう。
まだまだあるけど、すぐに思い出せないなぁ。メモしときなさいって店長に言われたときにメモしておけばよかった。
 

Kさんは言う。「ちょっとさ、落ち込むことでもこういう風に話したら角が取れて丸く聞こえるさーねー。足どうしたの?って聞かれるよりも、足が三本になっているって言った方が相手も話しやすいのよ」
最初は戸惑ったけど、これは不謹慎なことじゃない。わたしみたいな青二才が言うのはもちろん角が立つだろうけど、色んな経験をしてきたであろう人がこのような言葉を発するとき、救われることもあるんじゃないだろうか。
人ってどんな状況でも笑うことができる。一緒に笑う人がいると苦しさが少し減るということは、市場に座っているとよくわかる。
この楽しい言葉遊びは優しさだ。あんただけじゃないよ。人生は辛いことも苦しいこともあるさ、わたしも同じよ。わたしたち、よく頑張ってるよね。って声を掛け合っている。
この優しさと洒落た言葉遊び、わたしももっと学びたい。あと、20年くらい経ったら使いたいな。いや、あと30年後かな。

<ほんとーく>連載を全て読むことができます

 

 

宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。

メルマガ『宮里小書店便り』

2016年10月27日

ガラガラ石畳 vol.11

garakanban

 

 
 11月2日に『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)という本が出版される。日本全国のまだどこにも紹介されていない本屋を現役の書店員がガイドするという本だ。わたしもとっておきの1軒を紹介させていただいた。他の方の文章はまだ読んでいないが、全国の知られていない本屋を覗くことができるのだから楽しい本に違いない。と、他社から出版される本の紹介と宣伝はここまでにして。

 

 

 この本を宮里小書店でも販売することになった。ご存知の方もいるかも知れませんが、宮里小書店は古書店なのです。新刊はほとんど置いていない(新刊はボーダーインクだけ ♡)。
「小書店でも10冊置くことになったんだ。でも、そんなに売れるかなー」
と店番のカウンターでぼやくわたしに、向かいの店主Kさんが断言した。
「はっさ、50冊取りなさい!50冊は売れる!」
へっ?それは難しいでしょーと言うわたしに、商売人の火が点いた。
「あやちゃん、あんたは本当に商売人じゃないねぇ。市場のみんながいるでしょう?あんたいつも買い物しているのに、みんなに本を買ってもらわないわけ?あんたはなんのために市場で毎日買い物しているの!」
ごはんをつくるためだよ…と小さい声で反論してみるが彼女には届いていない。
「こういうときのためでしょ!」

 

 Kさんの熱気でムンムンした店内に「はいさ〜い」と、仲介業者のウラさんがやって来た。
「はい!ウラさん買って!」ムンムンのKさんが言う。
「え?なに?なんて?」
「かくかくしかじか、かくかくしかじか。ってことで、あやちゃんが本を出すから1冊買ってちょうだい!」
「はい、わかりましたー」
よくわかっていないだろうウラさんだが、本を予約してくれた。
 その後、鞄屋のJさんがお茶を持ってきたタイミングでゴングが鳴る。
「今度、あやちゃんが本を出すって。わたしも買いましたから!」
お茶を持ったままJさんがウンウンと頷く。
「はい、1冊売れた〜」と、Kさん。
す、すごい。なんか、わたしだけの本みたいになっている。そして、相手に考える隙を与えていないような気がしないでもない。
 いつものお客さんにも、「あやちゃんが本を出すから、1冊買わない?」
「いや、わたしはちょっとしか書いてないですからー。新刊で1,728円(税込)ですし…」
そう口を挟むわたしに向かい、お客さんは考えてみるさーと帰っていった。
「あやちゃん!ちょっとしか書いてないとか言わなくていい!高いか安いかを決めるのはお客さんだよ。いい文章書いたんでしょう?だったら、堂々としとけ。それで、読んだ人は安いと感じるかもしれないし、ちょっと高いと思うかもしれない。でも、それはあんたが決めることじゃないんだよ」
じーん。確かに、わたしは商売人に向いていない。売り方が消極的なのだ。読みたい人が読んだらいいとか、買いたい人が買えばいいんじゃないかってどこかで思ってたんだ。そんなだったら商売するんじゃないよ!ってことだよね。
 Kさんや市場の人がいつも堂々としているのは、自信のある物を売っているからだ。いい物をお客さんに届けているという商売人としての誇りだ。
「よし、わたしも売るよ!」だって、いい紹介文書いたって思うから。
しかし、わたしが意気込むほど客足はぴたりと途絶えるのであった…

 

 夕方、いつものように「夕飯の買い物いってきまーす」と店番を抜けるわたしに、Kさんの目がキランと光った。
「とぉ!今から行く店全部に売ってこい!みんな絶対買ってくれる!」だって。
はじめてのおつかいならぬ、はじめての営業だ。
 ドキドキしながら安座間(肉屋)のみゆきさんに営業すると、「持っておいで〜」とニコリ。ホッとしたー。次はコーヒー屋のpotohotoへ。「もちろん、1冊買うよ」
 千切り屋の比屋根さんは「孫にも読ませよう」と嬉しい反応。八百屋のハイサイは「ハイサイで1冊ね」これまた嬉しい。
 他にも、ウラさん(仲介業者)、謝花さん(市場の鞄屋さん)、池原さん(化粧品屋)、かのうさん(おかず屋)は2冊も買ってくれた。
 

 たどたどしい営業を笑う人はひとりもいなくて、みんな本の出版を喜んでくれた(だから、わたしの本じゃない)。
 昨日、わたしはちょっとだけ変わったと思うのだ。
 少し商売人になった。あと、市場をもっと近くに思うようになった。
「ね、だから市場はいいんだよー。市場の人は市場の人を助けてくれるし、応援するんだよー。方言ではゆいまーる(助け合い)さ」とKさんが笑う。

 

昨夜、店長(夜の市場担当)から報告があった。
「Kさん、いろんなところで予約取ってくれてるよー。栄町、すごいよなー」
本の予約数はあっという間に20冊を超えて30冊に手が届きそうだ。

<ほんとーく>連載を全て読むことができます

 

 

宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。

メルマガ『宮里小書店便り』

2016年01月15日

ガラガラ石畳 vol.10

garakanban

 

 

 
年末にひとりの青年が小書店を訪ねてきた。
大学生だという彼は戦後自発的に復興していった栄町市場近くにある社交街について調べているという。「どうしてもわからないことがあるんです」と言う彼に、向いの店主Kさんは栄町市場の資料を探し、私は市場がスタートしたときを知っているかもしれない数少ない年長者を市場内で訪ね歩いた。
その中のひとり、Hさんは筍やごぼう、味噌やかまぼこを売っている。いつもニコニコと優しく声を掛けてくれる彼女が私は好きだ。
毎日のように会っているが、彼女の話をじっくりと聞くのははじめてだった。
「この店からさ、隣のコーヒー屋さんあるでしょ?そこまで店が7軒あったよ。店の人だけで13人ぐらい立っていた。向かいもよー。私の向かいは今の知事のお母さんの店だった。お客さんが溢れてねー。すごかったのよー」
彼女の店からコーヒー屋さんまで多分、8メートルくらい。向いの店舗のシャッターはもう長い間閉じられたまま。
彼女は私たちしか立っていない小さな道を見渡した。本当、毎日すごかったんだから。

 

Hさんのお父さんが戦時中に壕で亡くなったということはテレビのドキュメンタリーでインタビューされているのを見ていたから知っていた。その壕は跡形もなく、遺骨が見つかっていないということも。
「14歳から店に立っているよ。母が体を悪くして店に立てなくなったからねぇ。もっと小さい頃から手伝ってはいたけど、学校にも行けないから勉強もわからなくなって。それからずっと店に立っている。兄弟も下に3名いたし、母は店に出れなかったから」
「結婚したらやめてやるって思ってたよ」と彼女は笑う。でもさー、市場にいたら面白いわけ。嫌なお客さんに一度も会ったことなかったよ。みんな優しくて、いい人ばかりだった。栄町のお客さんはいい人しかいない。だから、市場に来たら楽しくて元気になるのよ。
「結婚してから風邪ひいたときに、旦那さんが休ませるって言うわけ。母にね。母も一緒に住んでいたから。そしたら、母が風邪ひいたんだったら市場に行かせなさい、すぐ治るからって。本当よ、うん、市場に来たら本当に治るよ」
そう言いながら、目の前の冷水に浸ったごぼうを仕分ける。
指には大きな金の玉と蛇の指輪が光る。小柄で可愛らしいHさんにはごつ過ぎるなぁと最初は思っていたけれど、今では商売人という彼女の誇りがその指輪に凝縮されているのだと思うようになった。大きな指輪をはめた彼女の手が冷水に浸った筍やごぼうを掴む。ずっと眺めていたい美しい手。
「この玉の指輪は嫁がつくってくれたのよ。派手じゃないかって思ったけど、お母さんはいつも地味だからって。こっちのは蛇。蛇は商売繁盛の意味があるんだよ」
そうやって恥ずかしそうに笑う彼女の顔は幼くて、少女のようだ。
14歳の少女が家族を養うと決めて市場に立った日。今と同じように恥ずかしそうに微笑む彼女が見えた気がした。

 

私は東京に8年暮らした。働いたこともあった。少しだけどソウルでも暮らした。色んな国にも行った。多くの人を見た。でも、彼女ほど気品のある人に出会ったことはなかった。
彼女を見ているとわかる。気品とは優しさだ。人生に誠実に向き合い、家族や客や市場の人たちに優しく接してきた彼女の顔。少女の面影が残る可愛らしい人なのに、なぜか手を合わせて拝みたくなるような。菩薩のようだと言ったら彼女に笑われるだろうか。

 

市場に座っていると心が震える瞬間がある。
この市場に座ったからこそ体験できたこと。
これが、私が市場に座っている意味だと新年早々思った(いや、座っているだけじゃなくて少しは小書店の売り上げ伸ばそうよ、と店長の声が聞こえてきそうです、、、)。
 

<ほんとーく>連載を全て読むことができます

 

 

宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。

メルマガ『宮里小書店便り』

 

2015年12月18日

ガラガラ石畳 vo.9

garakanban

 

 

 

去年、はじめて市場の冬を経験したが、寒い寒い。とにかく寒い。

 

タンカーマンカー(お向かいさん)の小書店とK商店の間口から続くスージグワァーを風が吹き抜けていく。
うー、ぶるぶる。

 

間口から見える道には陽光が降り注ぎ、暖かそうなオレンジ色に包まれているというのに、道の両脇に並ぶ植物たちは強く吹く風で激しく揺れている。
「まるで、外にいるみたいだ」と私が呟くと、「あーはっは。そうだ、そうだ。ここは外とおんなじだ」とKさんが笑う。
そこまで寒いのならストーブでも置けばいいのだが、狭くて本に囲まれているとどうしてもストーブを置く気にならない。
寒い日は歯を食いしばってカウンターで縮こまっているしかない。のだ。

 

そんなある日、Kさんが店に卓上ガスコンロを持って来た。
「あやちゃん、今日のお昼は鍋にしようねー」
えぇ!ここで?と驚くと、「昔はさ、そこ(小書店)は化粧品屋だったのよー。そこのおねーさんとよく鍋したんだよ。でも、お店が何度も変わって、なかなか一緒に鍋できる人がいなかったから。ひとりで鍋してたらバカみたいさーね」

 

お昼時間。Kさんは手際よく準備してきた野菜とだし汁を鍋に入れる。
立派な土鍋は店に置いてあるみたい。お皿とお箸とお玉も常備しているみたい。
豆腐とお肉は市場で調達。うどんも調達。
出来上がったお鍋からは湯気が立ち上り、見ているだけでも温かくなる。
「おいしー」を連発する私に、「こんな寒い日はアチコーコーだったらなんでも美味しいんだよ。お湯でもおいしい」
すっかり鍋にハマってしまった私たち。湯豆腐、もつ鍋、スンドゥブチゲ、お好み焼き(鍋じゃない)。レパートリーはどんどん増えていった。たまにはお客さんも巻き込み、冬の間中鍋パーティーは続いた。
暖かくなるころには、辛かった寒い日の店番が楽しみでしょうがなくなった。

 

 

数週間前、はじめて化粧品屋さんのおねーさんに会った。足が弱くなり、あまり家から出ることはなくなったというおねーさんは小さくて可愛らしいおばあさんだった。
「もー、最近見ないから心配していたよー。あー、元気でよかった!」
うんうんと優しく頷くおねーさん。Kさんは楽しそうに喋り続ける。子供のようにはしゃぐ彼女をはじめて見た。

 

Kさんが言う。「わたしはさー、なんにもわからないまま市場で商売はじめたから。おねーさんには本当によくしてもらったのよ。いつも助けてもらってた。頭上がらないよー」
私もだよ。私もKさんにいつも助けられてる。なんでも相談して、教えてもらって、頭が上がらない。

 

市場には親子で営む店、夫婦で営む店、兄弟姉妹で営む店がある。受け継がれてきた力。結束が固く、とても強いもの。それが、市場の核になっている。気がする。
一方、私とKさん。Kさんとおねーさん。
家族ではないけれど、脈々と繋がっていく。細いけれど、とても温かな関係。
市場のお隣さんやタンカーマンカーって不思議だ。家族ではないし、友達でもない。うまく言葉にできないのだけれど、特別な関係。その関係が市場のあらゆるところに点在している。
そうやって、市場は成り立っているのかなーと店番しながら考える年の瀬。

 

うー、ぶるぶる。

 

 

 

 

 

<ほんとーく>連載を全て読むことができます

 

 

宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。

メルマガ『宮里小書店便り』

 

2015年10月02日

ガラガラ石畳 vol.8

garakanban
 

「栄町市場のタイガー」

 

 

 栄町市場にはすごい人がいーっぱいいます。

 

 先生は空手のすごい人。
先生が空手の先生だと、最近まで知らなかった私。
70代であろう先生は、いつも大きな体を小さなスクーターに乗せて走っている。市場のカウンターから見える道をスクーターで走る先生に手を振るのは、いつの間にか私の日課になっていた。
先生は、空手の中に隠れている「手(てぃ)」を弟子たちに教えている。「てぃ」とは技であり、知恵であり、科学であり、哲学だそうだ。
先生を慕い、世界中から弟子が来る。最近はフロムアルゼンチン&カナダ。

 

空手を見に来なさい、と誘われて訪ねた道場。
道場の窓から見える景色が素晴らしくて思わず唸ります。うぅ。
小高い丘に見える大きな病院。実際は平地で病院が大き過ぎるだけらしいのだが。病院まで綺麗に並ぶ背の高いヤシの木々。その下を川が流れている。水面に動きはなく、影絵のようにくっきりと風景が映し出される。
夜の手前。薄い青が全てを包み込む。気持ちのいい時間帯だ。

 

道場に入っても湿気がピタリと肌にくっついている。少しの鬱陶しさはあるが、部屋中を風が巡って気持ちがいい。
先生の空手は気配を消す。だから、練習中に声を出さないのだそうだ。
体の動きで道着が摩擦される音と帯の揺れる音が鋭く響く。
素人の私にも一瞬一瞬が音になっているのがわかった。
それとは反対に、外の公園からは呑気で陽気なパーランクーの音が纏まりなくパラパラーとこぼれていく。

 

 気配を消すために電気も付けない。外から差し込む薄い明かりの中で黙々と「てぃ」の修行は続く。先生が立ち上がると、中年というか初老の生徒が急に緊張するのがこちらにも伝わる。指導を受けるたびに、アルゼンチン人とカナダ人の生徒が小さな声で「ありがとうございます!」と頭を下げる。
空手の師弟関係がどのようなものかわからない私にも、弟子は絶対服従であることがわかる。しかも、世界共通のようだ。
 
 

「てぃ」の動きを夢中で見ていると、やがて影が広がり音が濃くなる。
先生の焚いた蚊取り線香の匂いが道場に漂っては窓の外に流れていく。
どこか遠い国に来た錯覚に陥った。
マレーシアやインドネシアのようなジャングルを持つ国。
大きくかたまった緑がゆさゆさと揺れ、獣が蠢いているような。獣はきっと虎だ。
研ぎ澄まされた視線はどこからかこちらを見ている。虎の姿を見つけるために、もっと耳を澄まさなければいけない。
虎は近くにいる。

 

「ワハハハ!!ありがとう!赤ワインは好きだ。白ワインも好きだ!︎」
心地よい緊張感の中、先生の一言が緊張感に包まれた闇を湿らせた。
先生は闇の中でワインを持って笑っている。遅れてきた生徒が土産に持ってきたらしい。
虎はここにいたのか。
強い者は隠れない。
ただ、気配を消しているのだ。

 

 その日から先生を栄町のタイガーと密かに呼んでいるのは、ここだけの話。

 

 

 

 

<ほんとーく>連載を全て読むことができます

 

 

宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。

メルマガ『宮里小書店便り』

2015年09月18日

ガラガラ石畳 vol.7

garakanban

 

 

 

あめのショポンショポンふるぱんに
カラスのまとからのそいてる
まてつのきぽたんのぱかやろう

 

これだけ読むと違和感のある歌詞だ。
「満鉄小唄」、またの名を「雨ショポの唄」は満州国で働く朝鮮人娼婦が歌っていた曲だそうだ。
朝鮮の女性たちが訛って歌ったために、ヘンテコな日本語の歌詞になったとか。
訛っていない歌詞はこちら。

 

雨のショポンショポン降る晩に
硝子の窓から覗いてる
満鉄の金ボタンの馬鹿野郎

 

この「雨ショポの唄」は、最近ハマった『島唄を歩く』の著者、小浜司さんから教えていただいた。
「十九の春」が福岡の炭坑で歌われていたころ、同じく炭坑で働く朝鮮人たちが歌っていたのだという。
桜坂の喫茶カラーズでのこと。
小浜さんは大きな体を小さく丸め、誰かに聞かれると恥ずかしいとでも言うように口に手を当て、小さな声で「雨がショポンショポン。。。」と歌い始めた。
そのショポンショポンという可愛いらしい響きと物悲しいメロディが頭に残った。
大工哲弘さんも「満鉄小唄」として歌っている。
聞けば聞くほど染みる歌だと思った。
もとは1932年に発売された「討匪行」という軍歌だったそうだ。満鉄州鉄道の職員が歌っていたのを聞いたのだろうか。

 

先日、またまた桜坂の喫茶カラーズではじめてALKDOという2人組のライブを観た。愛知の三河を拠点に活動するTURTLE ISLANDという大楽隊の最小編成グループなのだそうだ。大地を感じさせる歌声と力強い太鼓の音が私の魂を静かに震わせた。そう、彼らのライブにとても感動してしまった。
会場にはマルチーズロックの追っかけである父もいて、お互いなんとなーく距離を置きながらライブを楽しんだ。
ライブの後半には共演者のマルチーズロックも加わり、「アリラン」が演奏された。
はしゃぎ疲れて眠ってしまった子供を腕に抱き「アリラン」を聴いた、というか身を任せた。あの時の気持ちをどう表現したらいいだろう。
「アリラン」という曲には歴史や民衆の感情が凝縮されて詰まっている。
人間の根底に流れる衝動。
どうしようもなく苦しくて悲しいもの。そういうものをみんなが持っている。
「アリラン」はそれを解放してくれる。
それでも生きるんだ。歌えよ、踊れよ、と。

 

同じ空間に父がいて、私たちは一緒に「アリラン」を聴いた。
父が幼い私に見せてくれた韓国の風景。
多分、父が私に教えたかったことは「アリラン」に詰まっていると思うのだ。
だから、私はこの喫茶カラーズでの光景を一生忘れないだろうな。

 

 

そんな「アリラン」のことを考えていると、前に母が私に放った(?)一言を思い出した。
「歌は民衆の歴史だ。歴史書はときの権力者がいくらでも書き換えられるけども、歌にはその時の民衆の想いや苦しみがあるんだ」
このとき、母と民謡の話をしていた。「瓦屋節」について。これは、また別の機会に。
とにかく、母は何気ない会話の中でこういう言葉をぽんっと出してくる。
母の言葉で気づくことの多さよ。
そんな、父と母と私のウタノハナシ。オワリ。

 

 

 

 

<ほんとーく>連載を全て読むことができます

 

 

宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。

メルマガ『宮里小書店便り』

2015年09月04日

ガラガラ石畳 Vol.6

garakanban

 

 

「72年の時を経て届いた歌」

 

 

  私があなたに惚れたのは ちょうど十九の春でした
  今さら離縁というならば もとの十九にしておくれ

 

 

 人から薦められて読んだ『十九の春を探して うたに刻まれたもう一つの戦後史』(川井龍介著)
私たちが知っている悲恋歌「十九の春」。この歌には多くのルーツがあるという。
ひとつの歌にこれほどまでに人々の想いや人生が宿り、広がって伝わってきたのかと驚嘆する。私が知っている「十九の春」はこの壮大な歌のひとつであって、その背景には無数の歌があるのだ。そのひとつが「嘉義丸のうた」だ。

 

 

―――太平洋戦争中でも、多くの民間の商船が日本の近海や東南アジア、南太平洋などを航行していた。大陸や離島や植民地に物資を運び、人間を乗せた。民間の船といえども、軍艦と同じようにアメリカの攻撃の対象となっていたのだ。

 甚大な被害を出しながらも、船舶の遭難の事実は国益に反する否定的な情報であり、すべて極秘扱いだった。そのため詳しい遭難状況は遺族にも伝えられなかった。こうして機密保持が優先されたために、当時は船に乗ることの危険性が十分に伝わらず、被害を拡大させたと思われる。

 撃沈されたうち約六割が魚雷攻撃によるもので、次いで空爆、機雷に触れての触雷、船艦などからの砲撃、という順序になっている。そして、これによって亡くなった人間の数は、船員だけでも六万人余りとなった。―――『十九の春を探して うたに刻まれたもう一つの戦後史』(川井龍介著)より

 

 

 本書では撃沈された嘉義丸に乗っていた人々も描かれている。特に沖縄出身の女性の話が印象に残った。
 16歳で滋賀県へ働きに出た彼女は、後に結婚して同郷の夫が働く大阪で暮らしていた。24歳のときに長男が生まれ一緒に里帰りをしようと嘉義丸に乗った。前年の里帰りで息子は両家の両親にとても可愛がられたのだそうだ。
 船が攻撃されたとき、たまたま甲板に出ていた2人。彼女はそばにあったロープで息子を必死に自分の体に縛りつける。
海に投げ出され、息子を必死で背負ったまま数時間後に小さな漁船に助けられた。
病院に到着したとき、看護婦から妊娠していることを教えられた。一方で、3歳の息子はすでに冷たくなっていた。

 

 小雨が降る静かな午後、店番中に「嘉義丸のうた」を聴いていた。
すると、Jさんがひょっこりと顔を出す。彼女は私が栄町市場に座り始めたころから仲良くしてもらっているお隣さんだ。80歳という年齢が信じられないくらい若々しい。
 彼女の差し入れてくれるものは自家製バンシルーのハチミツ煮や自家製唐辛子のオリーブオイル漬けなど、とても洒落ている。小書店で購入する本を見ても、新しいものをどんどん取り入れることが好きなのだとわかる。頭の柔らかい、いつでも前を向く姿勢がかっこいい人だ。
彼女もどうやら暇を持て余しているらしい。「一緒に歌聴こー」と誘うと、いいよー、といつものように明るい返事が返ってくる。
2人で「嘉義丸のうた」を聴いていると、彼女が言った。
「この船知ってるよー。田舎に嘉義丸から助かって帰って来た夫婦がいたよー。子供がたーくさんいたけど1人も戻ってこなかった。3、4人?いや、もっといたはずだけど。そのときね、お腹に赤ちゃんがいたのよ。生まれたその子は大きくなっても1人では座れなかった。その後は子供をつくらずに夫婦でずーとその子の面倒を見ていたさー」
本に出てくるエピソードとあまりにも似ていて驚いた。それだけ多くの人があの戦争で死んだということなのか。
「あやちゃん、もう一回聴かせて」

 

  親を恋しと泣く子らの いとし子呼んで泣く親の
  嘆きの声が聴こえたら 御霊よ天の星となれ 御霊よ天の星となれ

 

海に投げ出されて死んでいった無数の命。そのひとりひとりに親がいて子供がいて、妻がいて夫がいて恋人がいた。慎ましくも幸せな生活があり、彼らは故郷に帰るのを楽しみにして船に乗った。孫を見せに、長い仕事を終えて家族のもとに帰る。
「嘉義丸のうた」に込められた壮絶な悲劇を72年の時を経て私は知った。
彼らの気が遠くなるほどの苦しみに、私は少しでも触れられただろうか?
いや、触れられない。触れることはできない。
それでも、本書や「嘉義丸のうた」を知った私は以前の私とは少し違うのだろう。
ディテールを知ることができたから。
ディテールは大事だ。私のような想像力の乏しい者でもこんなに苦しいのだから。

 

 

<ほんとーく>連載を全て読むことができます

 

 

宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。

メルマガ『宮里小書店便り』

2015年08月21日

ガラガラ石畳 vol.5

garakanban

 

 

「向かい合う2人」

 

 

栄町市場に座り始めて1年と4カ月。
それまで会社勤めしかしたことがなく、市場のことなんてひとつも知らなかった私を助けてくれたのは向かいの店主Kさんだ。
栄町市場でも唯一のタンカーマンカー(お向かいさん)の私たち。1人が留守のときは、1人が店番をしてくれる(圧倒的に私の留守が多いです。ごめんなさい)
Kさんの栄町市場歴は35年?38年?何年かね?はー、そんなに経つんだー、こわいー。とイマイチはっきりしないのですが、とにかくベテランサン。

 

小書店にはじめて座った日のことをよく覚えている。あれは風の強い春の日でした。
最初の挨拶は大きくしっかりと相手の目を見て!と意気込んだ私は、Kさんに向かい張り切って挨拶した。
「今日からよろしくお願いします。わからないことばかりですが、がんばります!」
すると、Kさんはふーんと少し頷いたかと思うとカウンターから身を乗り出して一言。
「が、ん、ば、る、な」
まさか、最初の挨拶をそんな風に返されるとは思っていなかった私。その場でぽかーんと立ち尽くしてしまった。
がんばったところでお客さんが来るの?まずは続けること!毎日座らんとー、とKさんの洗礼?が続く。
それからも、つい口を滑らせて「がんばる」と言ってしまう私に、「だーかーらー、がんばるって言うな!」とKさん。
次第に頑張る意欲もなくなり(!)、とにかく座り続けることが私の目標になったのでした。
「あやちゃん、まずは3年。休んでもいいから3年座ることだよー」

 

Kさんとは毎日色んなことを話す。家族のこと、市場のこと、過去のこと、未来のこと。明るくて裏表の全くない性格の彼女から学ぶことは会社勤めをしていたときよりよっぽど多い。
見栄を張るのはみっともない、苦しいときほど店に出る、そしたら頭が痛くても体がしんどくても忘れる、、、など。
夏は一緒に甲子園を全力で観戦するし、冬は鍋やお好み焼きを店で楽しんだ。家族でもないし、同僚とも違うし、親友でもない。でも特別で大切な人。こんな関係を築けたことに感謝したい。

 

と、ここまで書きました。
実はこれ、先日「市場の古本屋ウララ」の宇田智子さんが新刊を出したということでJ堂のトークショーで対談相手をさせていただいたときに話したエピソードなのだ。
同じ市場で古本屋をする者として、志の高さは違えど、境遇は少し似ているということで市場の話をさせていただいた。
私はもちろん、Kさんの話を中心に。

 

後日、友人が撮ってくれたVTRをKさんと一緒に観た。
「私、Kさんの話をいっぱいしたんだよー」とワクワクしながら観ていると、彼女も「あやちゃんよー。あはははー。がんばるなって言ったよね。そうそうそう」と楽しんでいる様子。
Kさんも喜んでくれたようだと満足していると、
「あやちゃんさー、全っ然お客さん見ないね。どこ見て話してるの?お客さんは目の前にいるのに。はい!また司会の人ばかり見てる。だめだこりゃ!」
私はまたひとつ、いや、ふたつKさんから学んだのだ。
目の前の客を放っておく者、市場人失格であーる。
下心ある者はKさんには認められず。

 

(*右上の<ほんとーく>をクリックすると連載を全て読むことができます)

 

 

宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。

メルマガ『宮里小書店便り』

NEWS お知らせ
2017年10月18日
ソフトの不具合などにより、当HPの一部写真が表示されていないものがあります。今しばらくご了承くださいますようよろしくお願い致します。なおテキストや通販には問題ありません。
2017年09月12日
道の駅おんな<なかゆくい>市場ブックフェア 2017年10月20日(金)~