ほんとーく

2012年11月10日

〔ほんとーーく〕知られざる傑作だと思ふ『ガジュマルの家』

時折書評を頼まれることがある。
ただで本がもらえる訳だから、ほぼなんでも受けている。でもまぁだいたい沖縄関係、ということになるのだか。
不思議なもので、なんとなーくこれ書評したいなぁと思う本が、すーっと寄ってくる感じで頼まれることが多い。最近では『兵隊先生』や栽監督の本『沖縄を変えた男』などがそうである。
ただ中には、頼まれるまでまったく知らない本というのも、もちろんある。それで読んでみてものすごくおもしろかったりすると、何倍も得した気持ちになる。
ここ数年の間でいうと、つい最近書いた『沖縄幻視行』と、もうひとつが『ガジュマルの家』である。この小説、 大島 孝雄という八重山出身の方が書いた作品だが、これがこれが、ほんとおもしろかった。
でもこの作品って、なんでっていうくらい知られていない。ここ数年の、沖縄を舞台とした小説の中ではダントツで(というほど知らないけどね)、おもしろかった。傑作といっていいと思う。
古書店のあの人やこの人にも聞いてみたけど、知らなかった。うーむ。まぁ僕も書評を頼まれなかったら知らないままだったろう。
というわけで、その時、どういう書評を書いたのか、確かめてみよう。沖縄タイムスの書評欄に掲載されたもの(2009年1月?)。

 

 

書評
『ガジュマルの家』  大島 孝雄著

キジムナーが現代もこの島に存在しているか。沖縄が抱えるもっとも大きな文学的命題である。いや、真剣な話だ。キジムナーという[木の精]を伝承の世界から連れだし、沖縄の歴史や社会の変動を映し出す存在として描く手法は、絵本や童話の世界で先行している。キジムナーは、ある意味定番ともいえる沖縄の文学的トリック・スターだ。本作において石垣島出身の作者はキジムナーを語り手とするために、こう物語を始める。〈ぼくが人間に生まれ変わって、もうすぐ二十四年になる〉。なるほど、うまい設定である。

 

イシャナギ島(石垣島)を舞台に、その「ぼく」が人間となる遙か昔十五世紀のオヤケアカハチの時代から、幾つかの世替わりと災害に人災、大きな戦争をまたいだ一九八〇年代までを描く[寓話的年代記]である。
シャコ貝から生まれた男の子、マブイがふらふらと歩き回る海人、在番の島妻とその夫と子どもとその妻、世代わりで日本を恨みつづける御主前、墓で生まれた少女、本を読み続けるガジュマル……その他大勢の人と物たちが次々登場し(中には実在の人物らしき人も)、ある時は摩訶不思議な伝承的エピソードを、ある時は実際に起こった出来事を織り込んだ現実的な逸話が語られていく。

 

島の人間にとっては、どこかしら聞き覚えのある話で、戯画的に描かれており、鏡に写しだされた我々の姿のようで、おもしろい。数あるエピソードは、作者が島で見聞した話も反映していそうだ。
物語の中で、王国は辺境、未開の地となり、島人は日本人になり、島言葉は共通語になる。そして生者は死者となり、まるで夢を見ているかのように、ふたたびこの世に現れる。全ての事象は、人の意識に呼応して変身していく。こうした現実と非現実的な世界が混在して語られる「マジック・リアリズム」の手法は、沖縄を描く際に極めて有効だが、本作はその傑作として、これからもっと評価され、読まれるべきだろう。

 

キジムナー=異形の想像力はこの島でまだ存在すべきだ。

 

 

……とまぁこんな感じだった。
いつか大島氏に連絡を取ってアルコトを相談したいのだが、どうすればいいのだろうと思案しているのである。
ちなみに今、「ガジュマル……」という検索をかけると、だいたい「ガジュマルファミリー」があがってきたりするのだ。いいはずよ。

NEWS お知らせ
2018年11月12日
【お詫び】 現在、一部の商品で、ご注文カートが使用できません。カートが使用できない商品については お電話(098-835-2777)にて承ります
2018年10月11日
新城和博トークイベント「ゆんたくしよう!沖縄のあの頃と今」 11月23日(金・祝)15時~ くじらブックス&Zou Cafeにて 参加費:500円+ドリンクオーダー