ほんとーく

本について語ることは基本的に楽しい。お気に入りの本のことや、読んだ本にまつわる記憶や
著者へのこだわりを、たまに誰かと一緒に共有したくなる。
というわけで、ボーダーインクの本に限らず、県産本やら、いやいろんな本をネタにして
あれこれと、ユンタクヒンタク(ハッピー・トーク)してしまおうというのが、このコーナー。
「ここだけの話」ということなので、すぐに脱線していまいそうだが、そういうのもよし!

2014年01月17日

ほんとーく 高柴三聞(第1回)

 

 

今回ご登場いただいたのは、

浦添の障害施設で働きながら、怪談などの創作活動をしている高柴三聞さんです

 

 

 

 

 

 

 

 

今は楽しみで怪談を書いたり、読んだりしているけれど子供の頃から、怪談が好きなわけではなかった。

子供の頃、一番はまって読んでいたのは、西遊記ではなかったかと思う。福音舘書店から出ている『西遊記』(上下二巻。呉承恩作、君島久子訳。)だった。

瀬川康男さんの挿絵がついているもので、ずっしりとした重みがあって、今思うと結構なボリュームの本だったのではないかと記憶している。

 

内容も原作に忠実で、きわどい表現もあったと思う。

というのも、えらい残酷な話。例えば、孫悟空が妖怪の子供を二人ひっさげて觔斗雲にのり天高くまで昇ったところで、子供二人放り投げる件があった。

あるいは、三蔵を監禁した女怪が三蔵を誘惑して、「ねえ、好いことしましょうよ」といっているあたり、小学生の僕は「好いこと」って何だろうと、ちょっとドキドキした記憶がある。

 

この作品は、NHKのラジオ朗読でも取り上げられていて、夜の密かな楽しみだった。年配のアナウンサーの朗読だったけれど、本当にわくわくさせられて、楽しみで仕方なかった。(ついでにいうと、このラジオのおかげで落語や漫才なんかを楽しむきっかけを作ってくれた。)

 

今思うと中国の多彩な妖怪達が繰り広げる物語が楽しくてしょうがなかったんだなと思う。
あのお釈迦様やら天帝やら妖怪変化やらのバリエーションの広い世界を想像していると今でも楽しくなってくる。

 

ちょうどこの時期ゆでたまごの『筋肉マン』なんかも大好きだったが、超人たちも妖怪に通じるものを感じさせてくれたのかもしれない。

 

同じ妖怪や神仙を扱った『封神演義』と出会った時には、大分大人になってからなので残念ながら、『西遊記』ほどの興奮は無かった。

 『西遊記』から、中国の神仙や妖怪に興味を持ち始め、後のキョンシーブームの時に熱狂する下地になったと思う。

 

 

 

 

 

この『西遊記』を読んでいるよりも前に水木しげるの妖怪図鑑ものに魅せられたのだったと記憶している。

そもそも最初の水木体験は自分で本を買うだけの小遣いが無かったから、水木しげるの漫画の方は立ち読みで『全員玉砕』なんかから読んでしまったものだから、日野日出志さんと並んでトラウマ本的に出会ってしまった。

 

忘れもしないラストシーン。最後、舞台の唯一の生き残りの眼鏡の兵隊さんが砂浜で腹から腸をだらだら垂らしながら、よろよろと歌いながら米兵の前に進み出て、撃ち殺されるのである。ちょっと、眠れなくなった。

それでも、水木しげるの妖怪の存在感とユーモラスさは、ぐいぐいと心を引き付けてくれた。
ちょっとした妖怪の知識なんか覚えたりすると、内心気持ちが良かった。しかし残念ながら水木しげるに匹敵する妖怪作品が、当時出会うことが出来なかった。

 

 

 

 

小泉八雲の『怪談』も、初めは妖怪の本として読んでいたと記憶している。

 

小学校の高学年から中学までは、歴史物のほうに夢中になっていく。三国志や戦国時代が主だった。司馬遼太郎の本や横山光輝の漫画などを熱心に読んでいた。

それでも、妖怪や仙道みたいな世界を気にしてはいたけれど。さっき書いたみたいにキョンシーみたいなブームが来ると夢中になって観ていた。さらに時代が過ぎて荒俣宏の『帝都物語』に出会ってまた夢中になった。神仙の世界が陰陽師モノにちょっとシフトしたけれど楽しみ方は一緒だ。

違う点を強いて上げれば、帝都滅亡を必要に画策する魔人加藤保憲なる巨大なダークヒーローの存在と明治大正の個性豊かな文人、偉人のヒーローぶりだったのではないか。

高校や大学時代、妖怪の延長で民俗学なんか、ちょっと触り始めるが、何となくしっくりこなかった。民俗学の本をちょこちょこと読み始めたのは三十の半ば過ぎてからだ。

 

青春時代は、太宰治、星新一、北杜夫、遠藤周作あたりからはじまって、井上靖、内田百閒、中島敦なんかが楽しかった。

あんまり、一貫性は無いけど、ひと時代かふた時代前の文学系の読書が多かった気がする。(そもそも古本屋で安く手に入るというのも大事な一つの条件だったかもしれない。)

で、何故だか三島由紀夫や宮沢賢治に手を出さなかった。『星の王子様』なんかもそうだけれど、何故か気になりつつ手を出さなかった。ここ最近、ちょこちょこと手を出し始めている。

 

文学系は殆ど日本人ばかりで、ポーとカフカ、ラヴクラフトの三人をちょこちょこと読んでいた。ボルヘスなんかは、大分後になって読むようになった。ついでにいうと、ボルヘスを読んでダンテの『神曲』に興味を持つようになる。ゲーテの『ファウスト』とともに、たまに手にして読むくらいだけれど、何時かじっくりと格闘してみたいと思う。ホラーの泰斗スティーブン・キングは、流行りものだからと理由で、だいぶ長い間気にしつつ手に取ってこなかった。今更ながら失敗だったと思う。

 

一方でニーチェの『ツァラストラ』とかもこの時期だった。難しくて、今でも頭に入ってこないけども、懲りずに今でも手元において読んだり、挫折したりを繰り返している。

 

大学時代、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』、その後の妖怪季刊雑誌『怪』などと出会い、妖怪熱を再発させる。

特に京極夏彦の京極堂シリーズの影響で再び民俗学とか哲学とかの本を読むきっかけを作ってくれた。

それから、時代がさらに進むと怪談雑誌『幽』が登場する。怪談に再入門しだしたのは、この時期からだった。

 

さらにその数年の後に、小原猛著『現代実話集 琉球怪談 闇と癒しの百物語』に出会ってからは、今までの流れに沖縄本の読書が加わるのと同時に怪談本の読書量が飛躍的に伸びた。

小原さんの作品は沖縄ものの怪談という新しいジャンルの誕生の予感ということだけではなく、穏やかさと恐怖の融合した不思議な読後感は、他の作品にはあまり無かったものだと思う。

全く別ものだけれども恒川光太郎さんの作品に、ちょっと似ている気もした。

 

とにもかくにも俄然怪談を読みたくなって今まで、食わず嫌いみたいなところがあった実話の怪談なんか集中的に買うようになった。

実話怪談の白眉は平山夢明先生の作品だと思う。特に残酷な描写が神経にびりびりくる。

最近では、平山先生は創作の作品も本を出していて、個人的に新刊がとても待ち遠しい。

新しいものも読んでいたけれど、これだけじゃいけないと思い平井呈一先生とか、もっと昔の古典にも目を向けなきゃと、ぽつぽつと積読が増えていく。

 

読書の欲はきりがないもので、読みたい本がどんどんと増えていく。まだまだ、読みたい本は増えていく。楽しみなような、怖いような日々は続く。

 

                                        高柴三聞

2013年12月04日

ほんとーく 我那覇祥子(第3回)

 

 

 

広告代理店で沖縄ペーパークラフトの制作販売もされている

(有)ジグゼコミュニケーションズの我那覇祥子さんに3回目の<ほんとーく>をしていただきます

 

 

 

 

 

 

大学図書館に勤務して3年目、任期が迫ってきた。

 

後任者選出の面接をしている部屋を見つめると、何とも言えない感情でいっぱいになった。

ここはもうわたしの図書館じゃなくなるんだ、3年間お世話した棚と本たちがとても愛しくてたまらなかった。

仕事量が多くて、図書館から離れたくなくて、日付が変わるまで背後を振り返りたくない真っ暗な図書館で一人お仕事してると警備員さんに「もう帰れ」と毎日言われた。

 

しょんぼりしていた時、ラジオでこんな告知を聞いた。「沖映通りで一箱古本市を開催します、出店者募集中です」すぐに調べて若狭の古書店言事堂さんに申込みに行った。

 

準備する時間が楽しかった、仕事以外でこうして本に触れるのは新鮮。

 

好きなようにディスプレイして良いですよ、とのことだったのでお勧めの本には手書きのポップを貼りつけた。社会人1年目で買った『上司のモヤモヤ』(講談社)には「一時期、お守りのように鞄に入れて出社していました」と書いた。この本はすぐに売れた。自分に響いた本が誰かに響いて手に取ってくれる、書店でも図書館でも感じなかった新しい喜び。

 

「おねえさん、へんな本ばっかり持ってるね」おじいさんが声を掛ける。

 

自分の持っている本を一箱に詰めるのは、スカートをめくられるようなそんな恥ずかしい気持ち。それでも、誰かのこころに響くのならスカートの中どんどん見てっていいよ。

少しだけ、何となく、本との新しい関わり方を見い出せた気がした。

 

 

 

 

今はなぜだか、また本に関わるお仕事をしている。

 

不思議な小さな会社の書店営業担当。

本当は本の背を眺めながらお仕事がしたい。

本が好きなわたしは本をお世話したい。

でも不思議となぜだかまた、違った形で本と関われてる。

 

本の神様がきっと「おまえはこんなにも本が好きだから、もういいよ、ずっと本に関わってたらいいさー」と言ってると思う、様にしている。

 

学生の頃にアルバイトしていた書店の方々には、今はお仕事でお世話になっている。

ずっと憧れてた沖縄県産本フェアに参加した。

 

東京の取次にあいさつに行った、大きな本屋さんでフェアが組めた。

 

ブックパーリーNAHAではいろいろとお手伝いさせて頂く機会を与えてもらえた。

 

なぜかテーマソングを歌うことにもなった。

 

人生って本当に分らない。

 

本は基本、一人で楽しむもの。

でも、読んだ後ひとりじゃつまらない。

誰かと共有したい、本には不思議な力が宿っている。

学習の側で、趣味の側で、喜怒哀楽の側で、本はちょこんとそこに居る。

本には助けられた。

誰かの言葉が形になって、誰かの心に作用する。

傷ついたこころは言葉が癒してくれる。

本は触るとひんやり冷たいけど、中身は様々それぞれ温かみを感じる。

今度はわたしが恩返しする番だ。

 

本の神様、いるのなら、私を見てくれているのなら、どうか、おばあちゃんになるまでずっと本に関わって生きていたいです、どうぞ見守ってて下さい。

 

我那覇祥子

2013年11月27日

ほんとーく 我那覇祥子(第2回)

 

 

 

広告代理店で沖縄ペーパークラフトの制作販売もされている

(有)ジグゼコミュニケーションズの我那覇祥子さんに2回目の<ほんとーく>をしていただきます

 

 

 

 

思春期は現実逃避の漫画を読み漁っていた。

 

高校2年の担任は日本史の専門で、琉球史の早朝授業も受け持っていた。受講者は両手で足りる程だったけど、日本史の授業の時よりもきらきらした目で琉球と沖縄の歴史を朝7時半から教えてくれる先生に憧れる。

 

学校の先生ではなく、学芸員になって歴史を伝えるお手伝いがしたい、そんな夢を持ち始める。

 

県外の学芸員資格を取得できる大学へ進学。ついでにと軽い気持ちで司書資格の授業も受講。アルバイトしなきゃ、本屋さんがいいな電話してみよう。求人広告を出していない本屋に直接確認の後面接、合格、4年間お世話になる。書きだしてて、今、自分の無鉄砲さに青ざめる。でも、不思議と全部繋がっているのです。それは大分後になって気づくことだけど。

 

昼間は学芸員と司書の勉強、夕方は本屋の勉強、本にどっぷり浸かった学生生活。

 

棚、フェア、レジ、接客から見える聞こえる感じる本屋の喜怒哀楽、くるくる変わる風景は居心地が良かった。

県外書店でアルバイトを経験して気付いた事は地元出版社のコーナーが小さく、沖縄で見慣れた県産本コーナーの風景がなかったこと。

 

そして、いつの間にか将来の夢が学芸員から書店員になっていた。

 

大学卒業後、沖縄に戻ってきた私は書店員になった。

あんなに大好きだった本屋が嫌いになった。

退職して二日後には図書館の先生、司書としてお仕事することになっていた。

本の神様が「お前はまだまだ本の仕事がんばらんといけないんだよー」と言っている様に聞こえた。

小学校図書室は1年間、右も左も分らない「司書」になった私の手に委ねられた。図書室入口上には古い「図書室」と彫られた看板。その下に私の名前がぷらりぷらりと揺れている。

「大きいじいちゃん、しょうこは図書館の先生になりました」仏壇に手を合わせながら話しかける。なにも返事は返ってはこないけど、きっと喜んでると思った。

 

 

日々の業務は目まぐるしかった。特に選書は難しい。子どもにとっての良い本、大人に取っての良い本、子どもが読みたい本、教員が読ませたい本、親が読ませたい本…蔵書構成を考えながら、限られた予算で買う。図書館の役割というものは目に見えた数値が表しにくく評価が難しい。必要とされているのは分かるが財政状況に左右されやすい。入ってみなきゃ分からないことだらけ。

 

ただ、目の前にいる利用者は子どもであり生徒であり、これから社会に巣立つたまごたち。一冊の価値や意味を深く考えて本と向き合ったことがなかったことに気づかされる。

 

沖縄の歴史を伝えるお手伝いがしたいと、読み聞かせには沖縄の民話を必ず1話読むようにした。終了後に子どもたちが民話コーナーに立ち寄る姿を、涙目で見つめる怪しい司書がひとり。

 

学芸員にはなれなかったけど、本を通じて歴史を伝えるお手伝いは出来る。

 

ある方に日々の業務の相談をした際にこんなことを言われた。「あなたは、本と接しているの?それとも子どもと接しているの?」すぐに答えられなかった。臨任で経験のないわたしには司書の本分が理解出来ていなかった。それでも、子どもたちから教わることの多さ、本を通じて体験できる全てがまぶしかった。

 

小学校図書室とお別れした後、とある市町村の公立図書館に履歴書を提出した。しばらくして電話がかかってきた、図書館ではなく文化課からだった。

 

学芸員資格を持っている元書店員の司書は、今度は学芸員補助としてお仕事することになった。人生って分らない。

 

1年後、大学図書館に嘱託職員の司書として図書館に戻ってきた。専門図書館だったので求められる情報と技術、本という名の知識の湖にあっぷあっぷ溺れそうになった。それでも毎日は楽しかった、しあわせな毎日だった。

 

 

2013年11月20日

ほんとーく 我那覇祥子(第1回)

 

 

 

広告代理店で沖縄ペーパークラフトの制作販売もされている

(有)ジグゼコミュニケーションズの我那覇祥子さんに<ほんとーく>していただきます

 

 

 

 

手を伸ばせば本に触れられる環境にいた。 

 

学生時代の教科書を今でも大切にしている父と、実用書しか読まない母。そんな両親が買い与えてくれた本のなかで古い記憶は図鑑全巻セット。一番のお気に入りは恐竜と宇宙の巻。夜な夜な、古代魚と深海魚を見比べてはうっとりする不思議な子どもだった。

 

 

共働きの両親、保育園帰りは祖父の家に預けられ、手持ち無沙汰に古い本棚から手に取るのは叔父がコレクションしている手塚治虫漫画全集(講談社)。瓦屋根の古い家の畳間でごろごろしながら読む不思議な漫画たち、一番最初に読んだ手塚治虫の作品は『奇子』(講談社)。子どもが読んじゃいけない内容だった、でも虜になった。

 

 

我が家に漫画なんてものは無く、祖父の家の本棚が宝箱のように思えた。数年後、小学校に入学したての私に父が「漫画ならこれを読みなさい」と手渡されたのは幕末の志士・坂本竜馬の生涯が描かれた『お~い!竜馬』(小学館)。こちらも虜になった。私の歴史好きは父と竜馬のおかげである。子どもが読んじゃいけない内容は頁飛ばしで読んでた。

 

 

 

 

祖父とは毎週末、開南から国際通りを散歩するお決まりのデートコース。途中、みつや書店に立ち寄り絵本コーナーから離れない私を、入口の階段脇で口笛を吹きながら待ってくれる祖父の姿は忘れられない。(まだ元気です、今でも、みつや書店の話をするとぱっと明るい表情になる祖父が大好きです)

 

 

 母と買い物に行く時間が苦痛だった。着せ替え人形のようにあれもこれもとコーディネートされるのが嫌で、本屋とレジ横の雑誌棚は私の逃げ場だった。

くるくる回る絵本のささった黄色の回転スタンド。名作童話集を読みふけった。洋服はいいからと泣き落としで買ってもらったのは300円くらいの『みにくいアヒルの子』。

 

 あの黄色の回転スタンド、あまり見かけなくなったなあ。

 

 

小学校低学年、図書館に恋をする。

手書きの貸出カードは両面刷り、あっという間に埋まる。夢中になって読んだ本は『ぼくは王さまシリーズ』(理論社)『となりのせきのますだくん』(ポプラ社)。

 

 強烈に覚えている本は新里堅進さんが描かれたひめゆり学徒隊戦記『水筒』(クリエイティブ21)。しばらく図書館に足が向かなくなった、でも、読まなきゃいけないと思って泣きながら読んだ。

 

図書館の先生に(この時、司書という単語を知らない)カウンター越しに背伸びしながら「あたらしいかしだしカードをください」とお願いする時の嬉しさ、恥ずかしさ、ここまで読んだぞの達成感。この気持ち、手書きの貸出カード世代ならきっと分ってくれると思う。

 

 

あまりにも図書館が好きすぎて、危篤の曾祖父の見舞いを断った。「としょかんにいくから、びょういんにはいかない」本当に行かなかった。曾祖父の最後の言葉は「しょうこ」だったそうだ。

大きいじいちゃん、ごめんなさい。

 

 

そんな図書館に恋した私は、大人になって図書館でお仕事をすることになる。

 

 

小学校中学年、詩に夢中になる。

 

まどみちおさんの詩が大好きだった。国語の授業や日記帳に私が書く詩を、担任の先生は誉めて下さった。先生は1冊の真新しいノートを手渡し「あなたの好きなように、のびのびと詩を書いて下さい。そして、それを先生に見せて下さい」年配の厳しい先生だった。添えられる先生の赤ペンで書かれた感想が嬉しくて毎日、日記帳とは別に詩を書き続けた。あのノートどこにいったんだろう。 

 

『弟はばかだ』という詩を書いたら、先生は赤ペンで「ばかと言うのは良くありません」。

 

 

赤ペン先生はもういないけど、今でもぽつぽつ書く文章は詩のようになってしまう。

 

先生、ありがとうございます。

 

 

 

 

我那覇祥子

2013年11月11日

ほんとーく 三木静(第3回)

   『琉球こどもずかん』『不思議な子どもたち』の著者でもあり、浦添市で古書店「小雨堂」を営みつつ、時々ウクレレも弾かれるという多才な三木静さんによる<ほんとーく>第3回をお届けします   

 

 

 

 

 

~一箱古本市とは~

まず、一箱古本市とは何ぞやという御仁のために解説しよう。前回も似たような解説から始まった気もするが、まあお気になさらずに。一箱古本市とは読んで字のごとく「主催者の呼びかけで集った人々が段ボールおよそ一箱分の自宅に眠る古書を持ち寄り、路上で広げて販売する一日古本屋店長の集い」である。だいぶ端折ったが概ねあっているはず。2005年、東京・不忍ブックストリートで発祥し、じわじわと全国に拡がっているらしい。沖縄では美栄橋駅前の広場から国際通りにつながる沖映通り沿いにおいて「えきまえ一箱古本市」の名称で行われる。ジュンク堂や高良楽器店などがある通りだ。この秋で2回目。1回目は2月という沖縄であっても実に極寒になる月に行われた。

寒いのに、何故。

 

ここ沖縄での募集のルールは「誰でも来たらいいよ」「大体一箱だったらいいよ」のやんわり募集なので、当方はプロの古書店でありながら今回も臆面も無く参加したのである。全然一日店長ではない。名前は少し変えて「こぶり堂」にしている。バレバレだ。

 

~てるてるさんのおかげ~

当日会場に着き、事務局のあるジュンク堂前のテントに向かう際、忙しくかけまわる某出版社の敏腕編集S氏に会う。S氏は主催者側の人なので台風27号・28号のW襲来にかなり気をもんでいたはずだ。「晴れたね~」「晴れて良かったですね」「夜通し心配したよ-。もうどれだけ、てるてるを吊るしたか」まず、なぜ一息で済む「ぼうず」を省略するのか、その「ぼうず」を省略したがゆえに「てるてる」という可愛いあだ名の人が吊るされる様を想像してしまった私が、その後てるてるさんが無事に降ろされたかどうかまで心配してしまった事をどうしてくれるのか聞いてみたかったが、早く準備がしたいのと、S氏の一箱古本市にかける情熱に水を差したくないのと、とりわけ説明が面倒なのとでやめにした。ともかくも、てるてるさんのおかげで快晴であった。

 

 

 

~旨い酒が呑みたい~

この日は店長に別件があったため、ほぼ1日を通して私が店番をする事が事前にわかっていた。自分がかわいい私は、2日前からいつも以上に納得の行く品ぞろえを心掛け絵本をせっせと詰めた。人通りの多い商店街である。本を求める人々がレミングのごとくさすらうイベントである。楽しい交流が待っているに違いないのだ。「この本を買ってくれた人が満足してくれますように」とハートウォーミングに願いつつも「あわよくば完売して旨い酒が飲めますように、ぐへへ」とも願う、やや下衆な思考の私である。人は多面的なのだ。許されたし。

 

 

 

 

~手から手へ~

準備を終えてから、店長が別件へ移動する1時まで少し時間があったので、交代で他店舗を見て回ろうという事になった。まず店長が見て回り何冊か買い、ニコニコしながら戻って来た。本好きな人が出店して、本好きな人が見て回る。故に、相当数の本が行き交う事となる。仮にあまり本好きでない人が出店したとしても、いったん人の手に渡った本にはそこを通過する何某かの魅力を秘めているという事なのだから、おそらく誰かの目にはとまる。すると売り手の人も「自分はいらないと思った本だけど、買いたい人がいるのだな」と、だんだんと本の底知れぬ魅力に開眼するかも知れない。私は電子書籍を否定する者ではないが、紙の本にはそれにしか無い魅力が詰まっていると思う。手触り。捲るテンポ、自分だけのテンポ。いったん最初の方に戻る。読み返し。二者が互いの土俵を荒らさないように共存するにはどうしたらいいだろうか。そして、対面販売にしかない特有の魅力はやはりコミュニケーションだ。手にとってみた。この本のどこが好きなのですか?聞いてみようかな、どうしようかな。ここのね、絵とか表現がいいんですよ。言ってみようかな。聞かれたら言おうかな。思いを秘めて互いに微量のソワソワ感を放出する。会話しなかったとしても思いは行き交う。それもコミュニケーションだ。

 

 

 

~スタンプください~

店長に店番を交代してもらい自分も見て回る事とした。まずジュンク堂の厠で男に間違えられるミニ事件を起こした。通報されなくて良かった。時間があまりなかったため顔見知りの人と話すのみで終わってしまったが、ザッと見ただけでも各店主の個性が現れているのがわかり楽しかった。ハガキ、野菜、果物、バルーンなど、おまけ合戦にも余念がない。私はアメを付けた。残念ながらこども古本まちぐゎーの方には行けなかった。

店番に戻った私は、なぜかスタンプラリーのスタンプを求めるちびっこに「スタンプを押してください」と何度も言われる事となる。スタンプは村の村長さんが押すことになっている。このイベントでは参加者を等分して、6つの村を作った。村にはスタンプを押す村長さんを任命された人が一人いる。多分信頼をおける人が選ばれているはずで、私は特に選ばれていない。スタンプラリー用紙に6つの村と美栄橋駅の合計7つのスタンプを集めると本部でガラガラ抽選が出来て豪華賞品が当たるというわりとスゴイ催しがあった。チラッと見たところホントに豪華だった。抽選は先着順で、無くなり次第終了。何度も間違えられたので「村長さんはあそこで黒い傘をさしているおねえさんだよ」と何度も言った。「黒い傘」という言葉を一日の間でこんなに発したのは人生初だ。大人には間違えられなかったから、やや押印をあせるちびっこから見たら私は村長然として見えたのかも知れない。村長然。どんなだ。

 

 

 

 

~イベントを終えて~

今回のえきまえ一箱古本市は大きく成功したと思う。無関係者ではないが主催者でもないので言い切る事は出来ないが、一参加者としてもそう感じる。一日店主も遊びに来た人もみな概ね笑顔だったし、会場は終始楽しい空気に包まれていた。主催者の人たちは随分長いあいだイベントの周知に尽力し、盛り上がる工夫も細やかで素晴らしかった。店主は1回目の時よりも増えて、それがゆえ自然賑やかになり人通りも多くなる。加えて、てるてるさんのおかげであの天気。とてもありがたいと感じた。途中、「えきまえ一箱古本市新聞」という、その場で作った号外をもらった。各店主に小さな付箋紙に感想のようなものを書いてもらい、それを村ごとにまとめて記事にしてある。村が6つなのでB4用紙6枚綴り。60店近くの露店に付箋紙を配って、回収して、原稿を作って、コピーを取りに行って、コピーした号外をまた配る。主催者の一人T子氏が駆け回る姿は大変そうでもあったが、その大変さを楽しんでいるようでもあった。私の知る限りT子氏はいつも楽しそう。

 

帰ってからこのコラムを書き終えるまでに、私はこの号外を何度も読んでいる。読んでは心中でニヤニヤしている。ここに、この日の楽しさが詰まっている。

 

 

 

 

 

このコラムを読んで「次回参加しようかすまいか」と検討している交流好きの人がいたらぜひ参加をお勧めします。売上げ金で、その場で別の店主さんからまた本を買う人もいれば、おいしいラーメンを食べに行く人もいる。そして私のように「売上で帰りにうまい酒?」と思っている若干思考回路が邪な人にも「それも、アリですよ」という事で、やはり参加をお勧めします。但し、天気が怪しくなりそうな時は、事前にかならず「てるてる」を吊るして下さい。

 

 

 

古書店・小雨堂 絵本担当 三木静

 

2013年11月01日

ほんとーく 三木静(第二回)

 

 

琉球こどもずかん』『不思議な子どもたち』の著者でもあり、浦添市で古書店「小雨堂」を営みつつ、時々ウクレレも弾かれるという多才な三木静さんによる<ほんとーく>第二回をお届けします

 

 

 

 

 

 

そして、いよいよ始まった持参本アピールタイム。

司会の佐渡山氏が述べる「お申し込み時にですね、ご自分の本を熱く紹介したいというお申し込みをですね、たくさんいただいております。」

…やや放心。途中送信がこんなところで私の足を引っ張るとは。各地の交換会がどのような細かいルールに則って行われているかはわからないが、どうやら(inおきなわ)の申し込みフォームには「語りますか?語りませんか?」の選択があったようなのだ。恥ずかしがり屋さんは語らなくても大丈夫。そこに本があるだけで大丈夫。

思いやりフォームはバファリンのように半分やさしさで出来ていた。

 

私はここまで来たら語りたかった。

だが、申し込んでいない。もう仕方ない。ルールは守りたいので平然とした面持ちで座っている事にした。

 

各テーマごとに解説を進めて行くようで、始めは「宇宙」だった。

他参加者の解説はどれも興味深かった。表現方法は十人十色であったが共通して言えるのは、皆、持参した本を読み込んでいるという事であり、好きである、という事だ。

カテゴリ「宇宙」の解説申込者による紹介が終わった。ここで次の「文房具」に行くかと思いきや、佐渡山氏が一言「他に、申し込みはしてないけど話したい、という方はいらっしゃいますか?」心がハッとして、あ、でも…と躊躇する心持ちになった瞬間に、私の隣に座るK氏が私の右手を掴んで高々と上げた。

とん、ぱん、とん、といった感じで、どれもリズムの良い刹那の出来事だった。いたずら心か、はたまた…。一瞬K氏テレパシスト説が私の中で浮上したが、もしかしたら心情が顔にダダもれだったのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

こうして持参本アピールの機会を得た私は、3冊の本を無事に紹介できた。やや悔やまれるのは、どれも簡潔な作品紹介にとどまり「11人いる!のフロルベリチェリ・フロルがいかに魅力的であるか」などのヨコミチ的感想を少しも挟めなかった事だ。むしろそういう所をこそ熱く語るのがブクブク交換の真髄ではないかと前もって思っていたにも関わらずだ。

 

「文房具」「泣ける本」とすべてのアピールタイムが終了した時、最終的にはほとんどの人が自分の本をアピールしていたようだ。

間にいくつかの演物を経て交換タイムがやってきた。

 

「持ってきた本の冊数だけ、誰かの本を持って帰れる」のがブクブク交換。

司会の「ブクブクこーかん!」の言葉に乗って、皆まずは一番欲しい本の上に手を置く。「だーるまさんがこーろんだ」の掛け声に、かるたの瞬発力が混ざったような感じといえば伝わるだろうか。

同じ本に1人以上の手が乗った場合、当事者同士で「どうぞどうぞ」もしくは「じゃんけん」などが行われる。

私は欲しい本が4冊あったが、まずは絶対欲しかった「ぼおるぺん古事記1(こうの史代)」に手を伸ばした。ライバルはいなかった。次に手を伸ばしたのは「毎月新聞(佐藤雅彦)」これには2人の手が乗ったが、年功序列を感じたのか、若いはつらつとしたおじょうさんが私に獲得権をすんなり譲ってくれた。ありがとう、はつらつとしたおじょうさん。3冊目を選ぶあたりで逡巡していると、欲しかった本が無くなってしまい、そう欲しくもないけど、あれば読むかも知れないという本に手を置いた。なんという失礼な手の置き方であろうか。ここで私は3回目の「ブクブクこーかん!」までに、持参した本がお嫁にいったと知る。もらう本よりもらわれていく本の事で頭がいっぱいとはどの口が言ったのであろうか。いざとなればもらうのに必死ではないか。

本がすべて人の手に渡った後、各々満足げに会話しながら席につく。皆、これで無事に終わったね、というムードで誰も彼もが平和に笑っていた、その時である。

 

「さあみなさんお待ちかね。おみやげの文房具争奪戦です」

 

 

 

 

 

 

 

今しがた持ち主の愛を一身に受けた本が並んでいたテーブルに、宮脇書店提供の様々な文房具が並べられた途端、私を含むすべての参加者が異様なまでの目の輝きを見せた。1人1つの文房具を選ぶのに「どうしよう」「どれがいいかな」といい年をした大人がキラキラしながら真剣に悩んでいる。さっきまでの本好きの姿はどこへ?

どうやらこの「限られた選択肢の中からマイベストを選ぶ」「それをもらう」という行為は、人を童心に帰らせるらしい。おやつの法則とでも言おうか。

おそらく、ブクブク交換にもその法則は当てはまるのだろう。だからこそのあの楽しさなのだ。

 

思い思いの本を手にした人々は、ここで得た本を、いつ、どのタイミングで読むのだろうか。そんな事を考えた。

本に思いを馳せるという事は、その向こう側にいる誰かに思いを馳せる事でもあるのだ。

 

 

古書店・小雨堂 絵本担当 三木静

2013年10月28日

ほんとーく 第一回(三木静)

 

 

今回は『琉球こどもずかん』『不思議な子どもたち』の著者でもあり、浦添市で古書店「小雨堂」を営みつつ、時々ウクレレも弾かれるという多才な三木静さんによる<ほんとーく>をお届けします

 

 

 

 

 

 

 

ブクブク交換…およそ耳慣れないその言葉を、聞いた事が無い人のために解説しよう。

ブクブク交換とは、2010年にテリー植田さんという人が発案した「本と本の交換会」である。

などと、知った風な口を聞いているが、テリー植田さんとは面識がない。1度、とても恥ずかしい渾身の打ち間違いツイート「ブクブク股間」をリツイートしていただいた事があるだけだ。一体股間で何がブクブクするというのか。泡か。放屁か。そのように気にしていただいたのかも知れない。とても素晴らしい方に違いないので、公式サイトを訪問されたし。

 

話を戻す。ブクブク交換とは、ある時、ある場所で、開催ごとに決められたテーマに沿った本を参加者が持ち寄り、本を交換する会。但し、ズラーっと並べた本を、各々ただ物色してお気に入りを探すわけではない。

各自、自分の持ち寄った本を、自分で紹介するのだ。

いかに、この本が面白いのか。どう、面白いのか。

どうしてこれをどこかの誰かに読んで欲しいのか。

私にとって難関はここであった。

 

実は沖縄に置いてブクブク交換は「inおきなわ」 と銘打ってブックカフェ・ブッキッシュ にてもう何度も行われている。知らせを聞くたびにソワソワした心持ちになったのだが、この「持っていった本を自分で紹介する」という行為が「ハードル走」のように思われて毎回二の足を踏んだ。

「とべない」

学生時代、ハードルは、とんだ数より倒した数の方が多かったように思う。

 

だが今回、番外として宮脇書店国際通り店で行われることになった交換会は、テーマが「宇宙」「文房具」「泣ける本」。

「宇宙」…そのテーマが私の心を捕えて離さなかった。

私の宇宙に対する知識は小学校3年生レベルで見事に止まっているが、あれこれ夢想する気持ちは一定の熱さで連綿と継続中である。

 

好きなのだ、宇宙が。

萌えてしまうのだ、木星の横縞に。

 

加えて今回は新刊書店前での開催。

通常考えられないこのシチュエーションと家計にやさしい参加費500円(場所代&おみやげ文房具付き)

意を決した私は、申し込みフォームに「要項をご記入の上送信」しようとしたが、名前だけで途中で送信してしまった。日々、誤打に次ぐ誤打である。職業が銀行員とかでなくて本当に良かった。

ともあれ、送りなおすのは面倒だし、参加は表明したわけだからなんとかなるだろうと当日を待つことにした。

 

そして、迎えた当日。定刻10分前に着いた。

スペース中央に置かれたテーブルには、参加者の本が既に所狭しと並んでいたので、自分もそこに3冊置いた。この時点で他参加者の持参本を見る心の余裕は全く無い。もらう本よりもらわれていく本の事で頭がいっぱいだった。

 

私の持ち込み本は

「銀河鉄道の夜(宮沢賢治短編集)」

「11人いる!(萩尾望都)」

「百億の昼と千億の夜(光瀬龍)」の宇宙押し。

テーマが「哲学」「心理学」「友情」であったとしても出品できそうなラインナップ。

「銀河鉄道の夜」などは「泣ける本」のカテゴリーでも良かったかも知れない。

 

 

 

 

このように、本というのはあらゆる要素を多面的に含むもので、開催時のテーマにあわせた部分を最初に抽出して紹介しつつ、更にここが!こういうところが読み応えがあるのです!とやれば、どんな本でもグイグイ紹介することができるはずだ。理論上はそうなのだ。きっと私にも出来る。

好きな本を持ってきた以上、その良さは分かって欲しいし、伝えたい。

 

ともかく、自分の順番が来たらがんばろうと思った。

 

(つづく)

 

古書店・小雨堂 絵本担当 三木静

2013年10月20日

ほんとーく 橋本亮介(第3回)

今回は<ほんとーく>でお馴染みの小川彰さんからのご紹介で

 

沖縄と沖縄音楽をこよなく愛する大阪在住の橋本亮介さんの3回目です。

 

 

 

 

福岡は警固に「スゴロクモーター」という、ろくでもない店がある。
なんせ客がつけた「良心的なぼったくりバー」とうキャッチフレーズを
店長が気に入ってるのだ。
ろくであろうはずもない。

ところが、というか、だから、というか、
ここ数年、ワシが飲みに行く回数ベスト3に必ず食い込む店なのである。
大阪在住なのに。
ワシはその店では「結構よく大阪に出張する人」という扱いをされている。

そのスゴロクモーターに一冊の写真集が置いてある。
表紙は満面の笑みを浮かべたワシの写真。

 

 

 
ここの店長が「年に1回くらい沖縄で気兼ねなく酒飲んで、泳ぎたい」と
常連客を募って沖縄旅行を企画するのだ。
団体行動が苦手で大抵一人で沖縄に行くワシだが、このツアーには2度も参加している。
ワシがろくでもないダメ人間であることの何よりの証拠であろう。

 

過去2回の「ほんとーく」について嬉しいことに周りの人々からお褒めの言葉を沢山頂いたが、
中には「かっこ良すぎるのではないか」「ちゃんとした人が書いてるみたい」
果ては「うそつき」という意見まで(主にこの店の常連から)頂いたので、
今回は、このろくでもないツアーについて書いてみよう。

 

初めて参加したのは2010年。
前日福岡に用事があったので、他の参加者と一緒に福岡空港から飛んだ。
沖縄は台風が近づいていて「飛ぶかどうか」という状態だったが、なんとか那覇空港に着き、
途中のスーパーで「ほんまに2泊3日か?」というくらい大量の酒を仕入れ、
総勢10名くらいのレンタカーは残波岬のリゾートホテルに向かった。
ワイパーがフル稼働しても前が見えないくらいの大雨、
「海もプールも観光も嫌だなあ」と心の中で思っていた。
どうやら全員同じ思いだったようで、ホテルの部屋に入った途端、そこらかしこでプシュッという音が聞こえる。
女性陣も男性陣の大部屋に来て、酒宴が始まる。
「せっかく沖縄に来たんだから雨でもどっか行こうよ」という人は誰もいない。
さすが、飲み屋のツアーだ。主眼は酒のようだ。

 

見る気もないテレビをつけ、誰も興味のないゴルフを見ながら、
「石川遼くんは若いのにしっかりし過ぎてて腹立たしい」
「そうだそうだ」と意気投合する平均年齢でも石川遼くん(当時)の倍くらいある男女。
時間が深くなると、オリオンは島酒に変わる。
最年少の女性に魚肉ソーセージを食べさせて、ゲラゲラ笑う50代。

 

気がつくと、昼の3時頃から晩の11時頃まで飲み続け、部屋から出たのは氷を買いに行っただけ。
「あ、晩飯どうする?」
「もうホテルのレストラン開いてないし、誰も運転できない」
「第一腹へってない」
「それもそうか」
こうして着いた日は全員が泥酔、ホテルから一歩も出ないまま終わったのであった。

 

二日目、少し晴れ間が出て来て、泳ぐもの、昼寝するもの、
死んだように無防備に眠る猫を観察するもの、
誰もが勝手に好きなことをしている。
よかった。全員団体行動ができないようだ。

 

 
この猫のように無防備で無秩序な感じが、
ワシでも参加できる理由なのかもしれない。

全員での団体行動は飯を食いに行くときだけだ。
昼飯は仲泊の「シーサイドドライブイン」へ。

 

 
いかにも田舎のダイナーズといった風情のアメリカンなだだっ広い店内に熱帯魚の水槽、
ジュークボックス、目の前は海、というシチュエーションはワシのお気に入りだ。
しかも、ここのフィッシュバーガーやクラムチャウダーが安くて絶品なのだ。
気がつけば、昨日ホテルに入ってからちゃんとした食事をしてないワシは、ガツガツかぶりつく。
この店でもメンバーの行動は勝手気ままで、アメリカンな店のジュークボックスで「石川さゆり」とかかけて
ゲラゲラ笑うもの、店内に陳列されたプラモデルなどを大喜びで見て回るもの、
たぶん、軍隊に入れる人間は一人もいない。

 

夜はホテルの近くの読谷物語。

 

 
ここも、何を食ってもうまい店なのだが、
いつもは少人数で来るので、今回のような大人数だと今まで食ったことないメニューが食えるのが嬉しい。
そしてホテルに帰れば、また昨日と全く同じメンバーで全く同じようなアホ話題の部屋飲み会。
福岡で見るスゴロクモーターの風景となんぼも変わらん風景をわざわざ沖縄で見てるだけだ。
翌朝、あれほど買い込んだ酒類はきれいになくなっていた。

 

帰りの飛行機は、来るときに遭遇した台風が福岡付近に迫っていて、
またも飛ぶかどうか微妙だったが、何とか福岡に着き、
雨や風の吹きつける福岡市街から逃げるように、新幹線で大阪に帰った。
翌朝起きると、今度は同じ台風で大阪が大雨。
沖縄、福岡、大阪と同じ台風に3回遭遇するという貴重な体験をした第1回目のツアーだった。

 

そして第2回目、2011年のツアーが冒頭に紹介した写真集だ。
今度は大阪から参加したワシは、福岡組より少し早く那覇空港に着いたので、
到着口の前で現地のツアコンの振りをしてお出迎えしたのであった。

 

 
元々、沖縄を歩いてて、ウチナーンチュにウチナーグチで話しかけられる
ウチナーヂュラのワシ、周りの人にも不自然に見られることもなくツアーの皆さまを
無事にお迎えした。
去年と打って変わった好天に恵まれた2011年は、ドライブも気持よく、ツアコンの使命を勝手に帯びたワシは
思い切って美ら海水族館まで遠出して、備瀬のフクギ並木も案内した。

 

 

皆さん、それなりにお楽しみ頂けたようだったが、
去年と同じ残波岬のホテルに帰ると「遠かった」「飲む時間が少なくなった」
などと文句が言うやつが何人もいやがる。
今年も無秩序だ。
「もうツアコンなんてやらん!」と固く心に誓ったのであった。

 

次の日も天気は良く、ワシも珍しくプールに入ったりした。

 

 
もしかしたら沖縄で初めてのリゾートホテルでのプールかもしれない。
ワシ「へ~沖縄にもこんな楽しみ方があったんや~」
メンバー「これが普通!」
そうなんか。

 

晩飯は読谷物語近くのフィッシャーマンズウォーフ。
東シナ海に沈む夕陽を見ながら飲む生ビールは絶品。

 

 
ワシ「へ~沖縄にもこんな楽しみ方があったんや~」
メンバー「これが普通!」
そうなんか。

 

晩飯のあと、メンバーの一人が「民謡酒場に行ってみたい」と言い出し、
希望者で読谷の「一番友小(ドゥシグヮー)」さんに。

 

 
メンバー「へ~沖縄にもこんな楽しみ方があったんや~」
ワシ「これが普通!」
そうなんよ。(ワシにとっては)

 

最終日、「もうツアコンはやらん!」という決意を軽く覆したワシは、
最後の昼飯にタコライスを食うことを提案。
賛同を得て、コザのパークアベニューの「チャーリー多幸寿」へ向かう。

 

 
ここは内装が昭和っぽくて好きな店なのだが、ワシのミッションは違うところにあった。
食後「ちょっとすぐ近くに寄って欲しいところが」。
ワシは福岡に帰る他のメンバーとは別行動で、
マイホームタウン、コザにもう少し滞在することにしていたのだ。
デイゴホテルの前まで送ってもらったワシは、福岡組に手を振りながら、
ツアコンとしてみなさんに喜んで頂いた幸せに包まれていたのだった。

 

 
そのあと、車内でどんな罵声が飛んでいたかには、全く興味がない。

 

その後、ワシはスゴロクツアーに参加していない。
2012年は、どうしても外せない私用があり、
2013年は、ぼったくり店長の手配ミスで中止になってしまったのだ。
来年は是非再開して頂きたい。
あの「車で移動中にトイレ行きたくなったらどうしよう」てことくらいしか
ストレスのない、3日間を過ごしたい。

 

ひとつだけ、ワシがメンバーについて疑っていることがある。
みんな「あそこのホテルの朝食はおいしい」と言うのだが、
ワシは、そんなもん食ったことがない。
あそこは素泊まりのホテルだと思う。
みんなして朝の弱いワシを騙して、何のトクがあるのだろうか。
「朝食券」は見たことあるが、ワシを騙すために福岡で作って来たに違いない。

 

こんな、すごく、ろくでもないツアー、略して「すごろくツアー」、
あなたも参加しませんか?
現地参加も、受け付けております!(たぶん)

 

 

 

 

2013年10月11日

ほんとーく 新城和博

 

私は、なぜ「美しい」について考えるようになったのか

 

ブックパーリー番外編

 

新城和博

 

 

 ブックパーリーのプレ企画で、「書店員ナイト」というのがあった。

なかなか交流することのない書店員同士で集まって吞もうという会だ。ブックオカのそれは、シンポジウムしたりトークショーだったりと大がかりだが、当方はまだ1年めということもあり、久茂地の居酒屋でこぢんまりと集まった。僕は書店員じゃないけどね、興味津々で出かけたのであった。

 

J堂書店、RブックセンターR、M脇書店K通り店、OK販など、ブックパーリーで深くつき合う書店の方が集まった。書店員ナイトは、なぜか演歌がBGMの中、始まった。

店長さんとはがっつり話す機会はここのところ増えているのだが、現場の書店員の方とは意外と面識がなかったり話するの初めてだったりする。

初めて話す話題といえば、やはり読んでいる本のことになった。

書店員のTさんと話しているうちに、彼女が橋本治を熱く読んでいることがわかった。

おー、橋本治は僕にとっても重要な作家であった。

1980年代、僕は、人生を橋本治とカート・ヴォネガットで乗り切ったといっても過言ではない、こともない。

橋本治はその頃とっても多作で、買っても買っても新刊が出てくるという感じであった。何を読んでも共感してしていた。小説、というのではなく圧倒的に評論に傾倒していた。 90年代後半ころからか、橋本治本を買うことが減っていった。まぁいろいろあるのである。持っている本をなんどか整理していくうちに、橋本治の本も次第に少なくなっていった。でもどうしても手元に残しておきたい、という本が幾つかあった。特に三冊。『89』、『親子の世紀末人生相談』、そして『恋愛論』。

 『恋愛論』を読んでいろいろどーんと理解できたことがたくさんあった。何を理解したのかはもうすっかり忘れてしまったが、その論理展開の見事さにうなったのであった。『恋愛論』は文庫をしっかりずっと持っている。

 

そのような話をしたかどうか、とにかく僕もTさんに負けないような熱い感じで橋本治について語ったのだ。しかし僕は80~90年代読者、彼女は現役ばりばりである。『恋愛論』はもう十数年も読み返していない。でも手放さない、そういう存在である。

 

 

 さてブックパーリーだが、プレ企画として「書店員ナイト」に続き、「ブックパーリーパーリー」というのが行われた。

ブックパーリー関係者がどどっと集まる決起集会のような飲み会である。本はさておきよく吞んでいるなぁ……ということはおいといて、とにかく盛り上がった。ブックパーリーを楽しく盛り上げようと一同心に誓って、二次会のカラオケに行った。

その夜、橋本治を熱く語り合ったTさんもやって来た。僕の顔を見ると、この本を読んだらいいですよ、と、橋本治の本を渡された。おー、何年ぶりか橋本治本は(評論)。

『人はなぜ『美しい』がわかるのか』という新書であった。なぜこの本なのかは読んでみたらわかるに違いない。僕に『美しい』がわかるのか、試しているのか。さっそく翌日から読み始めたのだが、この本、付箋が貼られているのである。むむ。

これはこの部分を特に読め、ということなのだろうか。いったい読み進むと、どのような付箋な一行に出会えるのだろうか。ちょっと緊張しつつ読みすすんでいったのであった。

 

数日して、十数年ぶりに橋本治を読み終えて、即座に本棚にある『恋愛論』を手にした。

著者自装で、解説も自分で書いているというこの本、手にしただけで80年の、あの頃の自分の生々しい感じが蘇ってきた。

 

 

ブックパーリーでは、NAHA書店員による「ゆるおし文庫」フェアが各書店で行われています!

 

NEWS お知らせ
2018年11月12日
【お詫び】 現在、一部の商品で、ご注文カートが使用できません。カートが使用できない商品については お電話(098-835-2777)にて承ります
2018年10月11日
新城和博トークイベント「ゆんたくしよう!沖縄のあの頃と今」 11月23日(金・祝)15時~ くじらブックス&Zou Cafeにて 参加費:500円+ドリンクオーダー