ほんとーく

本について語ることは基本的に楽しい。お気に入りの本のことや、読んだ本にまつわる記憶や
著者へのこだわりを、たまに誰かと一緒に共有したくなる。
というわけで、ボーダーインクの本に限らず、県産本やら、いやいろんな本をネタにして
あれこれと、ユンタクヒンタク(ハッピー・トーク)してしまおうというのが、このコーナー。
「ここだけの話」ということなので、すぐに脱線していまいそうだが、そういうのもよし!

2013年09月19日

ほんとーく 新城ヘーイ和博

 

 

 

首里駅に、首里駅文庫というのがある。

 

自由にお読み下さい、ということで、小さな本棚に文庫、単行本、新書などが置かれている。貸し出しの手続きは特になく、適当に返していいとのことだ。しかし当初結構いろいろあった本も、なんか少なくなっている気もする。みんなちゃんと返しているかな。それとも入れ替えとかしているのかしら。

 

時々覗いては、一冊選ぶこともある。選んでいるうちに電車がきてしまったらもともこもないので、さっと選ぶのだ。

 

先日、久々に手に取ったのは、『グラスホッパー』伊坂幸太郎である。

 

伊坂幸太郎は、特に読んでいるわけではない。読めば面白いに決まっている。『重力ピエロ』も『アヒルと鴨のコインロッカー』も、みんな面白かった。なので、いつか読もうといううちにどんどん作品が出て、読み遅れてしまったのだ。そういう作家っていますよね。恩田陸とか。面白いに決まっているのに読んでない。

 

モノレール内で数頁読み、そのまま自宅で寝る前に読んだ。面白くてあっというまに読み終えた。内容は、とにかく殺し屋がたくさん出てきていろんな人をいろんな殺し方で殺す。ナイフで殺す、押して殺す(交通事故死に見せかけるのだ)、自殺をさせるというものもある。これ全部重要な要素なのである。解説によると、伊坂幸太郎が初めてかいた本格的なハードボイルドなのだそうだ。殺しの場面の的確な描写が際だっているとも。

 

三日間にわたって夜寝る前に読んだ。読み終えて眠ったその夜。

 

ナイフで刺された。

 

という夢を見た。ぐさりと。いや、するっとという感じは、小説そのままの感触であった。

死ぬのかな、とは思わなかったのは、痛みがなかったからだ。夢だから。

 

目が覚めて、みぞおちに手を当てると、血がべっとりとついていることもなく、普通のいつもの午前六時であった。

 

『グラスホッパー』の中に出てくる殺し屋と組織にねらわれたら……と、考えてみる。いやいやそんな事はないだろう。しかし、わからないよな。誰かに恨みをかっているかもしれないし。

 

さて読み終えた僕は、首里駅に本を返しにいくのだが、ホームに立つとき、少し緊張することだろう……。

 

ちなみに僕は伊坂幸太郎のサイン入りのエッセイを持っている。荒蝦夷から出た『仙台くらし』という本だ。とてもいい本です。

 

 

 

新城ヘーイ和博(ボーダーインク編集者)

2013年09月09日

ほんとーく 橋本亮介(第2回)

今回は<ほんとーく>でお馴染みの小川彰さんからのご紹介で

 

沖縄と沖縄音楽をこよなく愛する大阪在住の橋本亮介さんの2回目です。

 

 

 

 

始まりは福岡のとあるバーで友だちに教えられた一杯のラム酒だった。

沖縄の伊江島で作られた「Santa Maria」。

「きっとトゲトゲしくて僕には合わないんだろうな」と思いながら飲んだのだが、

コクがあって、まろやかで、なおかつ上品で、大好きな味だった。

 

  

 

「自称沖縄通」なのに友だちから沖縄の酒を教えられたことにいささか悔しさは感じたが、

Facebookにその話を書いた。

すると高校の同級生から「これ、大学の後輩の会社で作ってるラムやないか!」

という書き込みがあった。

そのときは、へ~と思ったくらいだったのだが、

あんまりうまかったので、楽天で入手して(奇跡的に1セットだけ売っていた。)

福岡で行われる花見にわざわざ大阪から持って行った。

すると、そこでも「これ俺の会社の元後輩が作ってる」という人が現れた。

 

詳しく聞くと、同一人物。

九州出身で、関西の大学に来て、福岡で就職して、

今は伊江島で働いている松本さんという方だった。

僕はこういう物語が好きだ。人の繋がりが好きだ。

こうやって今まで全然知らなかった人との縁を感じるとき、

一番「生きてる」と実感する。

 

一杯のラムから、伊江島に、松本さんに繋がる一本の線が見えた気がした。

フルネームを教えて頂き、図々しくもFacebook経由で連絡を取って、

去年の夏、伊江島を訪ねた。

 

 

(原色 日本島図鑑」加藤 庸二著 発行/新星出版社)

 

 

松本さんは、ただ共通の友人が二人いるというだけの

初対面の大阪のおっさんに宿の手配をしてくれただけでなく、

港まで迎えに来てくれて、島中を案内してくれた。

 

いつも本部から眺めていて、いつかは行きたいと願っていたタッチューのあるあの島。

来られただけでも嬉しかったのに「Santa Maria」が縁で

この島に来たという経緯を知ってらっしゃったので、
「Santa Maria」の工場見学までさせて頂いた。

初めの一日で僕はただの観光客以上の人間になった気分だった。

 

 

 

そして宿に送って頂いたが「晩御飯の頃に、また迎えに来る」と言ってくださった。

なんだか至れり尽くせり過ぎて申し訳ない気もしたが、

地元の方しか行かないようなお店に連れて行ってもらえるのが楽しみだった。

 

夕方、松本さんは一人の少年を連れて来た。

息子のヒカル君。

伊江島の西小に通う小学校六年生(当時)の野球好きで元気な男の子だ。

はにかみ屋だが(この年頃の少年はみんなそうか)、礼儀正しく、

質問すれば、はきはきと答えてくれる。

共通の友人が二人どころではない松本さんとのいろんな繋がりが分かって、

この島に来る必然を強く感じたのもこの晩御飯だった。

三人の晩御飯は、楽しくて楽しくて「終わりがなければいいのに」と思った。

二日目の晩も、晩御飯を三人で頂き、そのあと松本さんに紹介してもらった

タッチューのふもとのカーサ・ビエントという気持ちのいい宿のいろり端で、

松本さんの作ってくださる「Santa Maria」のモヒートを飲みながら、過ごした。

ヒカル君もだいぶ慣れて来てくれたみたいで、

お父さんのスマホで、「We Are The World」の動画を見ながら
全部物真似で歌ってくれた。小学校六年生で。

野球だけでなく、音楽も相当好きなようだ。

 

ヒカル君は三人兄弟の末っ子だが、伊江島には高校がないので、

お兄さん二人は島を出て、本島の高校、九州の大学に通っていて、

ヒカル君も中学を卒業すれば、大好きな伊江島を出て行くのだという。

たった二日の滞在だが、伊江島が大好きになりつつあった僕は、

別れ際に酔った勢いと寂しさとで、

「ヒカル君がいる間にもう一度、伊江島に来るからね。」と約束した。

いや、口にしたときは「約束」とまでは思ってなかったのかもしれない。

 

家に帰ってからヒカル君が言った言葉を後日、松本さんから聞いた。

「次に橋本さんが来るときは、僕は反抗期かもしれないけど、

橋本さんだったら、反抗期でも僕は会いに行くよ」。

こんな美しい言葉に出会ったのは、いつ以来だろう。

 

12歳の少年と50歳のおっさんとでは、

ひとつひとつの言葉の重さが違うのかもしれない。

僕の言葉を真剣に受け止めてくれて、12歳なりの知識で数年後の自分を想像して、

その中で「自分と橋本さん」のことを考えてくれたヒカル君のことを思ったとき、

その言葉は僕の中で「約束」になったのだと思う。

ヒカル君が約束にまで育ててくれたのだ。

 

そんな言葉を裏切りたくはない。
僕は、今年七月に再び伊江島を訪ねた。

宿はやはり去年気に入ったカーサ・ビエントだ。

昼間は、ここのご主人、金城さんと再会。

音楽や美術の話、金城さんがしばらく京都に住んでいたことも知り、

共通の話題が多くて楽しく、世界に対するモノの見方も頷けるところが多くて、

あまり出かけもせず、ビールを飲みながら過ごした。

今思い出すだけでも気持ちのいい時間だ。

 

 

そして夜は、中学生になったヒカル君との再会。

「ちょっと生意気になってるかもしれませんよ」という松本さんの言葉通り、

初めは少しよそよそしく敬語を使っていたが、

笑うとやはりヒカル君だ。

中学校に入って、毎日野球漬けらしく、去年以上に真っ黒になっていた。

 

 

次第に口も柔らかくなり、県下でもベスト4に入るくらい強い野球部の話や

高台にある中学校の窓からはクジラが見える、という話を

楽しそうに聞かせてくれる。

 

今回も二泊したが、両日とも松本さんとヒカル君と三人で晩御飯を頂いた。

町で店で、地元の人がヒカル君を見かけると必ず声をかける。

住むと大変かもしれないが、その距離感が羨ましい。

あの約束の背景には、やっぱりこういう人間関係が必要なんだろうなあ。

 

最後の夜は、やはりカーサ・ビエントのいろり端で、金城さんの奥さん、息子さん、

援農に来ていた楽しい青年二人と「Santa Maria」を飲みながら

(もちろんヒカル君は飲んでません!)

ヒカル君が寝る時間になるまで過ごした。

 

 

余談になるかもしれないが、青年二人は「ディジュリドゥー」という

アボリジニの楽器を使ったバンドをやっていて、今は伊江島を去り、

那覇の路上でライブをしながら、松本さんが録音したCDを売ってるそうだ。

那覇で彼らを見かけたら、よろしくお願いします!(写真右の二人です。)

みんな音楽が好き、ってことで繋がってるんだなあ。

そして僕が一番帰りたかったのは、あの約束の生まれたこの時間だったのだなあ。
と思いながら、幸せな眠りについた。

 

次の朝、見えなくなるまで松本さんが手を振ってくれたフェリーを降りて、バスを待つ。

伊江島に戻るフェリーに飛び乗りたい気持ちを何度押さえ込んだことだろう。

そして、その気持ちは、今も、続いている。

 

 

夕方、那覇から乗った飛行機は本島の東側を通った。

左の窓から楕円形の島が見える。伊江島だ。

タッチューもはっきり分かる。

一瞬タッチューの西のふもとあたりが夕陽に照らされてキラッと光った。

あのあたりで光る大屋根、中学校に違いない。

ヒカル君が挨拶してくれたんだな、と思った。
「また、きっと」と返す。

 

今度は約束とかではなく、あの時間に戻りたくて、

僕はまたあの島に渡るのだろう。

 

                                橋本亮介

2013年08月15日

ほんとーく 多田明日香(4回目)

ほんとーく、今回は沖縄県浦添市でBook cafe bookishを営む多田明日香さんの第4回目です。

 

 

 

7月の連休、7年ぶりに東京に行ってきました。

7年前、 それはブッキッシュをオープンさせる前後。読書アドバイザーの資格を取る為にスクーリングなどで行っていた頃です。司書とは別に何かもう1つ本に関する何かが欲しいなぁと思って取った資格です。その7年ぶりの東京はやっぱり、この読書アドバイザー絡み。資格は取ったものの7年間、どう活用していいやら・・・。

新聞等では、 珍しい資格を持っているブックカフェの人ということで 取り上げてはいただいたものの、それを持っているからどうなんだ?と聞かれてもぼんやりとしたもの。アドバイザークラブの広報誌等をを見ても、どうしても関東や都市圏の活動や情報が多く、参加したり見に行く事はなかなか難しく、取得した意味を見出せないでいました。 それが、今回地方の会員からも広報スタッフを募集して いるとの事で名乗りを挙げてみたらあれよあれよと・・・ スタッフ会議に参加することとなり行ってきたのです。

 

ということで、この会議をメインに、7年ぶり、2泊3日の 東京珍道中をしてきました。電車の乗り方も忘れてるし、 距離感もさっぱり。もう1つの目的である「猫毛祭り」主催 の蔦谷さんに、いろいろ相談しながら練った短い日程のスケジュール。それでもどうなる事やら。

 

 

1日目、ホテルに荷物を放りだして向かったのは、憧れの 「COW BOOKS -中目黒-」そう。。。仲の良い方々に最 近必死に言っている「弥太郎さんが理想の人なんだからね!その辺りよろしく!」というその松浦弥太郎さんの店。駅から川沿いの 並木道に入り、おしゃれな洋服屋さんや雑貨屋さんの並ぶ界隈にあったそのお店は、今まで見ていた古書店とは又違う おしゃれなセレクトショップでした。ぽわ~~~っと店内を 何周もし、生まれ年生まれ月の『NEW YORKER』と弥太郎さんの本を購入。(ちなみにちはや書房さんでは生まれ年生まれ月の 『暮らしの手帖』を購入しました。密かにそういう雑誌を 集めるのがマイブームなのです)小心者の私にしては、ちゃっかりブッキッシュの名刺を置いてくるという大技をや りとげ、お店を後にいざ次の目的地へ!と、ここでニュースで見ていた雷ゴロゴロのゲリラ豪雨!幅さんというブック ディレクターがセレクトしたという雑貨屋さんに寄りたかったのですが。。。次の約束もあったので泣く泣くあきらめま した。

 

 

2日目、東京駅近くの「ていぱーく」で午後から会議という事で、 早めに出かけ、東京駅エキナカのお土産屋さんをブラブラ。 お昼はエキナカのブックカフェでサンドイッチ♪今回、そのようなカフェ散策の時間が見繕えなかったので。せめてここでは。。。と思い、粘って数少ない席をゲットしました。 「ていぱーく」で、電話や郵便の博物館を見学。懐かしい風景を 楽しんだあとは、いよいよ本番!

 

 

会議に集まったのは、大きな図書館の司書、新聞社の方、 取り次ぎの方、出版社の方、ブックカフェをやってる方も! 他にも本好きで地道な活動をなさっている方々、十数名。もっと、 固い会議を予想していたのですが、ざっくばらんな、それでいて 本や本のイベントの情報をいかに会員に届け、その又外へ届けるかという白熱した会議でした。

 

私が、今回この広報スタッフに 応募してみたのも、今年予定しているブックパーリーや仲のいい古書店さんや出版社さんの事を県内はもちろん県外の方に知ってもらう事は出来ないか?という思いがあったから。そしたらな んと!その会議に参加されてたお一人はよく沖縄にいらっしゃる との事。前回は2月に開催された一箱古本市の翌日に来てショック だったという事、でも仲良しの古書店3店舗には遊びにいったというお話を聞いてびっくり!

 

そして、広報誌の11月号の特集ははそ んな沖縄のブックパーリーの様子を書かせていただくことになりました!(もちろん告知もOKとの事です)これまでのように情報 を受け取るだけではなく、発信する機会。又その集まった情報を 取りまとめ伝える(これは下っ端ですけど)そういう事に今年は 関わることが出来そうです。

 

 

そして会議が終わり急いで向かったのは『猫毛祭りin東京!』今までで一番移動に時間がかからない場所。もう、電車も覚えたし~と余裕 こいていました。はい。まさか、今回の行程で一番迷うとは。。。

まず、駅について右往左往。やっと方向が定まったのもつかの間・・・。 その時点で会場のギャラリー閉店1時間切る。そして、スマホの充電が ピンチ!

急いで、蔦谷さんと、会いに来てくれていた芸術家K氏へ 「○○小学校の前で充電切れ~~」と連絡。すると、そこで本当に切れちゃった。

もうどこに歩いていいのかすら検討がつかない。そこに1台のタクシー。 沖縄ならどこでもタクシー止めるけど、東京って止めてよかったんだっ け???と思いつつも手を上げてみる。止まってくれた!地方から出て きたっぽい若い運転手さん。「僕もわからないからナビつけますね。」 と1メーターあるかないかの距離を走ってくれました。やっとこ着いた のは5分前!

そして。。。K氏がいない。そう探しに行ってくれたのです (あちゃちゃヒドイよね~)そこでは偶然、沖縄それも浦添出身という 取材にいらしてたライターさんも待っててくださったのですが、少しスマホを充電させてもらい、急いで写真を撮り、お土産を渡して賞味5分間の『猫毛祭りin東京』となりました。

猫毛作品の他にもいろいろなネコグッズがたくさんあり、ヘトヘトだった私は気持ちよさそうに寝るニャンコの人形に癒されました。  その後、蔦谷さんK氏、沖縄の猫毛祭りにもいらしてくれたSさんと ご一緒した夕食&飲み会の方が長くなるという。。。 でも都電に乗れたし、とげぬきき地蔵も見れたし(どこ歩いたのかは はっきりいってわかってませんが)良しとしよう。

そうやって夜は更け行き。東京珍道中は終わりましたとさ。 はぁ~それについても歩いた、歩いた、暑かった!

 

 

 

 

 

 

※1 読書アドバイザー・・・今年20年を迎える財団法人出版文化産業振興財団が設けている資格制度です。沖縄県内に10名はいるはずなのですが。。。

※2 弥太郎さん・・・松浦弥太郎「暮しの手帖」編集長。 COW BOOKSの設立者。

※3 ていぱーく・・・正式名称「逓信総合博物館」情報通信関連の収蔵品を紹介する博物館。  電話や郵便の歴史を見ることが出来ますが、まもなく閉館。

 

多田明日香

2013年08月05日

ほんとーく 橋本亮介

 

今回は<ほんとーく>でお馴染みの小川彰さんからのご紹介で

 

沖縄と沖縄音楽をこよなく愛する大阪在住の橋本亮介さんです。

 

 

 

 

 

年に2~3回、沖縄を訪れるようになってから、かれこれ20年ほど経つ。

10回目くらいから数えるのを止めたので、回数はわからないが、人に聞かれると

「足せば、1年くらいは沖縄に住んでることになると思います。」と冗談で答える。

10年ちょい前、大阪から福岡に転勤するときのお知らせに、

大城美佐子さん、大工哲弘さん、安里勇さんと、大城さんの店「島思い」で撮らせて頂いた写真を使わせて頂き、

「おおざっぱに言って沖縄方面へ」というフレーズにしたため、

今でも、僕が沖縄に住んでた、と勘違いしてる友だちも多いくらいだ。

 

 

 

そう、僕が沖縄に惹かれた理由は、

青い海や、珊瑚礁や、リゾートホテルや、ましてや癒しなどではなく、

沖縄民謡だった。

しかも、ある意味「逆輸入」。

もともと音楽が好き、特にケルト音楽や、カリビアンや、ブルース、
その他でも、かつてワールドミュージックと呼ばれた、どちらかと言うと
人間を感じる土臭い音楽が好きだった僕にとって、

ライ・クーダーは世界中のそういう音楽を教えてくれる先生のような人だった。

そのライ・クーダーの1987年のアルバムに「GET RHYTHM」(Warner Bros.)がある。

そのアルバムに収録されている「GOING BACK TO OKINAWA」という曲に衝撃を受けた。

 

(Warner Bros.)

 

「日本にもこんな土臭くて面白いネイティブ・ミュージックがあったんだ。」

それから、手当たり次第に、沖縄民謡を聴き漁った。

しかし、内地でもCDが手に入るものだから、最初はあまり沖縄にまで行く必要を感じず、

大阪で面白い音楽として沖縄民謡を聴き続けていた。

20年ほど前、仕事で那覇に行ったついでに民謡のお店に行った。

そこで生の沖縄民謡に触れて「しまった!」と思った。

やはり生の音楽には、記録メディアには残らない力強さがあった。

人の悲しみ、苦しみ、孤独、諦観、僕が音楽に求めるものが、生の声から響いて来た。

今まで出張などで行く以外、あまり行かなかった年月、行っても型通りの観光しか

してこなかった年月を悔やんだ。

民謡酒場にフラッと入って来た酔っ払いのおじいが飛び込みで演奏する三線が

どれほど力強いことか。

もしかしたら、今までに僕が聴いた沖縄民謡の中で一番素直に心打たれたのは、

与那国唯一の民謡酒場で、「島一番のウタサー」と言われる

もちろんCDなど出したこともないおばあの「与那国しょんかねー」かもしれない。

スナック「むさし」のおばあ、元気かなあ。

また会いに行きたいなあ。

沖縄民謡の凄いところは、今でも民謡が生活の中に息づいて、進化しているところだと思う。

毎年新しい民謡が生まれ、J-POPやHIP-HOPをやってる沖縄の若い連中も

沖縄民謡に敬意を払い、影響を受けた音楽を制作している。

博物館入りすることなく、今でも生きて、成長していってるのだ。

こんな凄いことが、音楽をアクセサリーではなく、生活の一部、

大きな割合を占める一部として考えてる奴らに影響を与えないわけがない。

阿波おどりやよさこい節、津軽三味線などが、今の若い奴らを中心に
自分の血に流れる音楽として活性化しているのも、沖縄民謡の有り様に影響を受けているのではないか、

と思ったりもする。

なぜ沖縄でそういう奇跡が起こったのか。

これは僕の推測で、検証したわけでもなんでもないが、

それには、いわゆる「チャンプルー精神」が関係しているように思う。

「チャンプルー」という概念は一般に言われてるように

「まぜこぜにする」という意味ではあるが、それは表層的なもので

本当は「何も捨てない。何も無駄にはしない」というのが本質である、と、どこかで聞いたことがある。

それを聞いたとき「あ~~そうなんだ、だからか」と理屈ではないところで感じた。

今まであったものを捨てず、無駄にせず、新しく来たものと混ぜ合せることで、

自分の気持ちに一番近いもの、自分を一番表現できるものに、

沖縄民謡は、それぞれの人の中で変化してきたのだろう。

登川誠仁さんにしても、古くからの民謡をそのまま受け継ぐのではなく、

枠を軽々と越えてみせた。

照屋林助さんは、笑いという要素を盛り込みながらも、悲しみを描いてみせた。

大工哲弘さんは、内地の凄腕ミュージシャン達との共同作業で、

高田渡はじめ、いろんな音楽を沖縄民謡に取り込んでみせた。

そんな変化は、今も沖縄の至るところで起きているのだろう。

 

「ハウリング・ウルフ」登川誠仁 レーベル/ オーマガトキ

「てるりん自伝」照屋林助著、北中正和編、出版/ みすず書房

 「賜 八重山願いうた」大工哲弘 レーベル/オフノート

 

沖縄民謡に僕自身が引き込まれる理由を少しでも解き明かしたいと思って、

一昨年、一冊の本を作ってみた。

自分の中の沖縄民謡を整理して、それに対しての自分の思いをまとめて客観的に見てみたかったのだ。

しかし、ウチナーンチュではない僕が、好きな沖縄民謡のことを書いても、

ただの素人の沖縄民謡解説にしかならないだろう。

何も見えてはこないだろう。

なので、沖縄のミュージシャンが内地だけではなく、世界中の音楽に影響されてできた音楽、

世界中のミュージシャンが沖縄音楽に影響されてできた音楽を取り上げることにした。

最初の曲は、もちろん僕を沖縄に惹きつけたライ・クーダーの「GOING BACK TO OKINAWA」だ。

本のタイトルは、沖縄から世界中に架けられた橋、四方八方から沖縄に架けられた橋、

という意味を込めて、あと恥ずかしいんだが、自分の名前と引っ掛けて

「BRIDGE BY BRIDGE」とした。

 

 

この本を作ってみた結果、自分と沖縄音楽との個人的な関係性を少しは解き明かすことができたか、

と言うと、そうとは感じなかった。

もしかしたら、沖縄民謡は、ブルースやレゲエ、ボサノバ、ケルト、
サルサ、ルンバ、リンガラなどと同じように、

強いエネルギーで影響を与え続ける世界中の大衆音楽のように、

影響力のある、磁力のある普遍的な音楽なんじゃないか、と思った。

沖縄という自分と近い地域にたまたま、そういう音楽があったので、

自分との関係を特別に感じたのかもしれない、というのが、
とりあえずの結論だった。

だが、沖縄民謡と自分とが特別な関係でない、ということは、

僕がブルースやレゲエにも惹かれるように、

沖縄民謡にもまた、世界中の人を惹きつける力があるということでもある。

沖縄が政治的理由ではなく、歌の力で世界中から注目される日の来るのを、夢想しながら、

僕は、また新たな民謡を感じるために沖縄行きの飛行機に乗る。

                                                                                  橋本亮介

 

 

 

2013年07月23日

ほんとーく 川田英世(第二回)

 

<ほんとーく>今回は、名古屋で旅行誌編集のお仕事をされている

読者の川田英世さんの第二回です。

 

 

 

 

妄想のススメ

~ロード トゥ オギヤカさん編~

 

川田 英世

 

実に9ヶ月ぶりの沖縄旅行は、出発の朝まで台風4号にヤキモキしながらも、蓋を開けてみれば、飛行機は定刻通りに飛び立ち、定刻に那覇空港に降り立った。予想をすべて覆して那覇は晴れ。そして暑い。いや暑すぎるぞ!と何だか絶叫しそうになる。今回の滞在日数は5日間。オギヤカさんがメインテーマであるのだが、何せ9ヶ月ぶりの沖縄である。大好きなミュージシャンに会う約束もあり、行きたい所も色々ありで、大盛り状態になってしまっていた。憧れの「リゾート&ダイビング!」は今回もオアズケである。

首里の山川陵に向かうのは2日目。訪沖まで充分な日時はあったものの、肝心の山川陵の場所を掴めずに那覇に来てしまっていた(メインなのに)。でも大丈夫。おりしも翌日は夏至の日。時間はたっぷりある。そう余裕をかましていた。

初日は、『目からウロコの琉球・沖縄史』シリーズや『琉日戦争一六〇九』などの著者でもある、僕が尊敬してやまない歴史家の上里さんに、「充実した妄想旅行にするには沖縄県立図書館で色々調べてから回る事がオススメですよ!」(文面一部捏造)

と、先だってアドバイスを受けていたので、美味しい沖縄そばを食し、少しダラダラしちゃった後、図書館に向かった。上里さんのアドバイスには、“参考になる資料”も記されていて、大変有難かった。

というか、その好意に益々惚れてしまう。

県立図書館の郷土資料コーナーは、僕にとってパラダイスのような場所だった。奇麗に陳列されている本の背表紙を見ているだけで、これ読みたい!あっ、コレも!あぁ~コレも読みたい!と、本棚の間で悶絶しっぱなし。僕でさえこうなのに『沖縄本礼賛』の著者・平山鉄太郎さんが来たらどうなってしまうのだろう?と、少し頭をかすめたが、まずは目的の資料を探さなければと、邪念を振り払った。“参考になる資料”は2点。『伊是名村銘苅家の旧蔵品および資料の解説書』と『内間御殿の成立と展開』だ。

気持ち高ぶる中、あっと思う本を発見。ひときわ目立つ真紅の幅広背表紙。両手でしか持てないだろう重量感。即座に手を伸ばしハードケースから本を抜き、パラパラめくる。

『川田誌』。

仕方ないっすよ!自分と同じ名のついた本っすよ!

再び巻き起こる邪念と悲しいサガを押し殺し、目的の資料を再び探し始めた。

かなり離れた場所にあったが無事に資料2点を見つけ、ナナメ読みし、ここだなって所のみコピーをとって図書館を後にした。気づけば3時間弱も図書館にいた。でも有意義な時間だった。今度は丸一日いようと思う。

 

 

翌日は夏至の朝日を玉城グスクに見にいくため4時起きだというのに、さんざん那覇の夜を楽しんで、宿に戻った時は午前様。それでも図書館でとった『内間御殿の成立と展開』の一部抜粋コピーに目を通す。そして驚く。内間御殿の近くにも王妃の墓があると書いてある。王妃って誰?オギヤカさん?それ何処?

これ以上、行程と頭脳が混乱するのも何だし、何より眠い。資料に書いてある王妃の墓は、次回の課題にする事を決め、その夜は僅かながら睡眠をとる事にした。

 

2日目。念願だった玉城グスクからの朝陽を拝み、幸先の良い一日をきった。と書きたい所だが、グスク内の木の枝に顔面激突し、眉間を切ってしまった。グスクは神聖な場所でもある。血で汚してはいけない。携帯していたフェイシャルシートを消毒代わりに使う。後で使用上の注意を確認すると「傷口には使用しないでください」と書いてあった。OH MY GOD! とはいえ一日は始まったばかり。気を取り直し、オギヤカさんとは関係ないが、前から気になっていた安慶名グスクに向かった。その後、内間御殿でたっぷり妄想して(これはまた別の話)、色々道草や天ぷら各種を食っているうちに時は経ち、今回のメインである山川陵、いや首里山川町に到着したのは暑い盛りの14時過ぎだった。冒頭に書いたが、実際の山川陵の場所を分からず来てしまったため、何処かで作戦を練らなければならなかった。偶然にも立ち寄った、首里松島1丁目交差点近くにあるファミリーマートの駐車場は、山川を一望するには打ってつけの場所だった。ファミマ自慢のアイスコーヒーを啜りながら、すり鉢状の地形の山川町を俯瞰してみる。山川陵の予習は、実際に行かれた方の写真付きブログのみ。「右手にホテル日航グランドキャッスルを眺めながら坂を上る……」というキーワードを念頭に置き、改めて俯瞰してみた。ランドマークの日航ホテルの向かって左がターゲットエリアだから、そんなに広くは感じない。しかも目的地はお墓である。植物がこんもり茂っている所に行けば辿り着く、と安易に思った。候補を3ヶ所に絞り、いざ出発!レンタカーで颯爽と坂道を下った。

下りきって上り始めた途端、山川の町は僕に牙を剥いた!上り坂は急になり、恐ろしく道は狭い。しかも一方通行でもない。途端に不安MAXになる。対向車よ、来てくれるな!来てくれるな!と、呪文のように唱えながら走る。しかし、対向車はやって来た。しかもカーブでやって来た。何度もやって来た。僕は、その度バックしてやり過ごし、愛想笑いもしたりして、時には意に反して迂回している内に方向感覚を失い、気づけば日航那覇グランドキャッスルの裏にいた。やりなおし。再びファミリーマートからスタートする。今度は、気づけば儀保大通りに出ていた。三度ファミリーマート。そして再再アタック!3度目の正直とは良く言ったもので、理想通りの道を上り、右折左折を繰り返し、当たりをつけた場所に行ってはハズレ、行ってはハズレを繰り返したが、気持ちに打撃は無い。何故ならド本命の場所がまだ残っていて、多分この先だ!なんとなく近いぞ!と根拠は無いが確信があった。が。

ガーーーン!

 

 

 

 

 

 

ありがちな効果音が流れる。多分この先!の、道の両サイドには「前方階段あり、車は通り抜けできません」の看板が立っていた。車停止。そして僕は途方にくれる。大沢誉志幸のアノ名曲がその時ラジオから流れていたら、泣いていたかもしれない。ソロソロとバックで坂を下り、迂回して僅かな平地のある麓に出た。もう、ファミリーマートに戻る気もない。いっそ諦めようか、正直そんな気分になった。

ふと見ると、「ココに車を置きなさい」と言わんばかりの駐車場があったので、暑いけど、気持ちを固める。

歩こう。上ろう。山川陵に来るために今回は来たんじゃないか!そう自分を奮いたたせ、ド本命の場所を目指してズンズン上った。多分この先。さっきの看板を通過し、左折した。動悸が高まった!現場が近いせいなのか、坂道を登ってきて心臓に負担を掛けすぎたのか区別がつかない程ドキドキしていた。

山川陵はあった。

 

 

やったー!という感情は不思議とわかない。お墓だし。そこは僕も大人だし。温くなったペットボトルのサンピン茶をクールに飲む余裕もあるし……。お墓なので自ずと厳粛な気持ちになる。

少し高い位置に見える、緑に囲まれた石の門が山川陵の目印だ。その先にオギヤカさんはいるのだなと、足をその方向に向かわせた刹那、新たな衝撃が走る。

近づけない……。そう、入口に当たる前庭(?)から、僕の背丈ほどの草が茫々とビッシリと石の門まで生い茂っているのである。草を押し分けて入る勇気は、無い。

ここは沖縄、ハブがいるし。単独行動だし。僕も大人だし。

あぁ、なんて事だ。こんなオチが待っていたなんて……。ただ墓前で手を合わせたかっただけなのに。

ここに来るまでの道の迷い方、安易に墓前まで近づけさせない鉄壁の草のガード。このオチ。

玉城グスクで負った眉間の傷が、ここにきて急にズキズキ痛み始めた。

あぁ、そうか。そういう事か。鈍感な僕は、ようやく気がついた。

オギヤカさんは僕に会いたくないのだ。完全に僕を拒んでいるのだ。何だか久しぶりに味わう失恋の味。

でも、冷静に考えた。逆に考えればこうなるのでは?そうだよ、オギヤカさんはココにいる!と。

その時だ。(妄想スタート!)

「そうよ。ようやく金丸さんのそばで、穏やかにいるのに邪魔はしないで」。

どこからか女性の声が僕に囁く。僕はここぞとばかりに話しかけた。

オギヤカさんですか?そこには金丸さんもお見えになるのですよね?

「そうよ、金丸さんもいる」。

 

 

そして意を決し、読了後ずっと引っかかっていた疑問をぶつけてみた。

本によると貴女の騙し策で殺した、前夫人もそこにいらっしゃるのですよね?

「やっぱり、私がやったと思っているのね……。でもね、もしそうだとしたら今同じ場所にいられると思う?」。

確かに。でも意味深な発言だ。妙に納得しそうになった所で突如、威厳のある声が割り込んだ。

「まぁ女同士、時々賑やかにはなるのだが、今はみな穏やかな時間を過ごしているんだ。そっとしておいてくれ」

まさか、と思う。今の声は金丸、いや尚円王?僕は話題を変えた。

私が読んだ本では、そこに尚寧王もお見えになると。

「……」。二人とも黙ってしまった。

その時、一筋の風が吹いた。山川陵を囲む、木々が、草が、一斉にサーという音と共に揺れる。

あぁ、一方的なサヨナラの合図なのだな。僕はその場を後にする事を決めた。

名残り惜しかったのでもう一度、山川陵を振り返る。

また風が吹いた。木々が、葉が、揺れる。と、そこに『琉球戦国列伝』のイラストを手がけた和々さんに“書いて貰ったまんま”の、穏やかなオギヤカさんの笑顔が、一瞬浮かんで消えた。気がした。

 

 

 

 

 

何だか目的を果たしちゃったな。そんな感慨を持つ。それでも貴重な私的沖縄旅行。予定通り明日から伊是名島に渡り、伊是名玉陵をしっかり見てやる!と気持ち新たに山川の坂を下った。

 

 

 

翌日。運天港から伊是名島へ。沖縄に来てからずっと晴れ。

 

 

クーラーがガンガン効いた船室にて、図書館でとったコピーの資料を読んでいるうちに、伊是名の島影がグンと近くなっていた。デッキに出て人生初の伊是名島を望む。港に入る前、ん?と思う。

島影が女性の寝姿に見えるではないか!頭の部分が伊是名玉陵のある伊是名グスク。って事は、あの寝姿はオギヤカさん?今回の旅行のテーマがぶり返す。(※自宅に戻って調べたら、島影が女性の形に見えるのは有名な話だったのですね……)上陸して港近くの宿に荷を解いた後、宿が貸してくれたスクーターでさっそく伊是名玉陵に向かった。一夜漬けならぬ一船漬けで頭に入れた、資料の中身は興味深い内容だった。墓の東室(向かって左)にオギヤカさんの名の入った厨子があるとの事。当然ながらココがオギヤカさんの墓である、と定説ではなっているが、この議論はまた別の所でと、資料では明言は避けていた。驚きは、その同じ厨子に尚円王の姉の名も入っていると書いてあった。どういう事?その前に金丸に姉さんがいたのか!?初めて知った!やっぱり謎だらけだ。むむむ。そんな風に、頭の中で資料を反芻しながらアクセルを回していたら、伊是名玉陵に着いた。

グスク山を背景に建つ伊是名玉陵は、僕が今まで見たどの墓よりも美しいと思った。それは墓室を囲む石垣がそう思わせるのかも知れない。石垣は、まっすぐ伸びる石段の先に石の門があり、それらを中心にシンメトリになっている。形は違えど、インドのタージ・マハルみたいだなと思った。また背後のグスク山に威圧感を覚え、畏怖の念を抱く。どう説明したら良いのか悩むが、この玉陵には風格がある。第二尚氏発祥の地として相応しい玉陵にするため、オギヤカさんはここでも利用されたか?なんてプチ妄想するも、うまく纏まらないからやめた。でも島の象徴であることは間違いないな、と漠然と思った。僕はいつものように手を合わせ、心の中でご挨拶をする。

実を言いますと、僕にとって伊是名島は正真正銘の「ロケ地めぐり」です。「パイナップルツアーズ」はDVDを持っています。「さんかく山のマジルー」は、中城のグスク上映会で初見しました。はい、そうです。<ほんトーク>ネタというより、<えいがトーク>の場所です。滞在中、怪我なく楽しめますよう、宜しくお願いします……。

 

この謙虚な面持ちが良かったのか、伊是名島では「生粋のロケ地めぐり」を怪我もなく、思い存分に楽しんだ。

さんかく山、大きなガジュマル、昔の桟橋、銘苅家、フクギ並木の集落などなど、2つの映画がチャンプルーとなってコレでもかって僕を接待する。まぁ、でも『パイナップル~』からは20年も経っているし、『~マジルー』からも4年は経つだろうか……。関係者から言わせれば、なぜ今?状態のロケ地めぐりである。『パイナップル~』に映し出されていた桟橋は面影もなく、○○商店に至っては瓦屋根から立派なコンクリートの建物に進化していた。それでも不満なんて一つも無い。何故だろう。海の青さが変わらなかったからか?宿の方、出会う島人、駐在さんまで僕に優しかったからか?映画のエキストラに参加した人達にも出会い、究極に面白い当時の裏話も聞いた。島酒も美味かったゾ!『パイナップル~』の登場人物ヒデヨシ君ばりに島に溶け込んで、いつしか島人になっちゃうんじゃないか?と妄想しちゃう程、2泊3日の島滞在は楽しいものだった。

 

そんなこんなで、伊是名島にて旅行の行程は無事終了した。

 

今回は『尚円王妃 宇喜也嘉の謎』の内容に魅せられて山川陵に行った。書かれている事は、全面的に信じよう。とはいえ、しっかりと研究されている歴史家さん達の話も信じる。両者が対立した時は黙ってスルーしよう。

「歴史は勝ち組の物」とは良く言ったもので、何が真実なのか実際にはわからない。内地も琉球もそれは同じだ。だからこそ楽しいし、だからこそ僕に妄想する余地も与えてくれる。悲しいかな僕にはウチナーグチのスキルが無い。でも、そんな事を気にせず、標準語でどんどん妄想しようと思う。そして色んな妄想のパーツを組み合わせて、『中山世鑑』を凌駕する妄想の琉球史をいつしか完成させるのだ。

「それは単に、琉球をテーマにした創作話と言うのですよ!」

と誰かが囁く。そんな事は言わないでください。これも妄想なのですから。

一冊の本から限りなく広がる世界。想像からリアル、そして妄想する。

それは、とても楽しい。  <終>

2013年07月12日

ほんとーく 川田英世(第一回)

 

<ほんとーく>今回は、名古屋で旅行誌編集のお仕事をされている

読者の川田英世さんです。

妄想ちょい盛り話が大好きで、肩書きに妄想家とつけるのが夢だそうです

 

 

 

妄想のススメ

~オギヤカさんとの出会い編~

 

川田 英世

 

“沖縄に行く目的”は多種多様だ。

青い海に青い空、白い砂浜に原色の花々……、ひとときのリゾート&ダイビング!

そんなステレオタイプも良いけれど(実は憧れ)、ひとつ忘れていませんか?

そう、歴史。さらにいうなら魅惑の琉球時代。

僕が琉球の歴史に興味を持ったのは、池上永一の小説からだった。

物語の中でちょこちょこ出てくる、方言や歴史用語に少し小首を傾けながら、

当初は「親方」という役職名にさえ、ウフフとひそかに笑っていた。

読了すると何故だかテンションがあがり、「物語の舞台となっている場所に行きたい病」に罹っていた。

病に罹ってしまっては治さなければいけない。

即座に暦と行事と、もちろん仕事のスケジュールをチェックして、

『風車祭』(文藝春秋)の読了後、石垣島に行った。

『夏化粧』(文藝春秋)の読了後、石垣島にまた行った。

2度ばかりじゃ巡りきれず、今度は行事に合わせて、石垣島にまたまた行った。(どんだけ!)

『レキオス』(角川書店)の読了後は、那覇市の天久や波上宮などに行ってみたりした。

池上永一の小説との出会いが、僕が勝手に名づけた「小説の舞台を訪ねる・勝手にロケ地めぐりツアー」となり、まんま沖縄旅行とイコールになった。

そして、略して「勝手ロケめぐり」が、僕の中でスパークした作品が『テンペスト』(角川書店)だ。

物語の面白さは勿論のこと、背景にある琉球時代に再び胸躍らされた。

 

 

今まで何度となく訪沖するも素通りしていた首里城は、行かなければならない場所ランキング(自分調べ)に

瞬く間に圏外から上位に入り、年に2回も行けたらジョートーな沖縄なのに、首里城の年間パスポートまで作ってしまうほど浮かれてしまった。

2年目の更新に、パスポートの色が白から赤色になった時、僕もとうとう赤頭になったか……と、感慨にふけったものだが、3年目の更新もパスポートは赤いままだった……。(出世、見送り)

 

首里城 赤頭役人

(首里城 赤頭役人)

 

そうして繰り返される、「勝手ロケめぐり」。も、実は問題があった。

読む→イメージする→実際の場所に行く→現代の町並み……。

それは当然の事だけど、せっかく現地にいるのに!というエゴが先行し、これまた勝手にイメージを崩壊し、自分の未熟さを棚上げにして、何だか納得がいかない。

特に『テンペスト』の設定は琉球王国時代なので、“あれっ?度”が多発した。

三重城に行っては、あれっ? 聞得大君御殿跡に行っては、あれっ? 安謝の浜辺に至っては、うむむむ。

 

(三重城)

 

自分自身に知識が無さ過ぎ!というのもある。だったら何かでカバーできないか?と試みたのが細目作戦だ。

瞼を閉じるか閉じないかの微妙な空け方で風景を想像して、見る。

そう、モザイクされた画像を見る時に思わずやってしまう、あの作戦だ。

しかし、そんなに熱く語るほど有効でもなかった。

 

 

 

 

それは、首里城の西のアザナに登ったときの事だ。

那覇市内を見下ろせるナイスビューではあるけれど、どうしても昔の風景が見えてこない。

 

(西のアザナ)

 

昔の那覇港の位置すらわからない。とうぜん黒船も確認できない。細目作戦も当然無効。

うむむむ……と、ひとり唸っていたその時だった。

僕の傍らに『テンペスト』の登場人物である多嘉良のおじさんが現れて、突然こう言うのだ。

「風景は心で見なさい」。

僕は戸惑いながらも「はい」と素直に返事をし、集中するため目を閉じ、頭に入れてきた首里城とその他の名所の位置関係を整理し、クワっと再び眼下の風景を見た。

するとどうだろう、眼下には当時の町並みが広がっているではないか!

……んな、わけは無い。

少しガッカリした僕の様子を見て、ハハハと笑い優しい眼差しで僕を見た。

多嘉良のおじさんは相変わらず酒臭い。泡盛の混じった息で一方的に話し始める。

「ほれ、あのまっすぐ白い道が長虹堤だ!」とか、

「ん?崇元寺は見えないなぁ」とか、

「ここからだと破天塾は見えないよ!」とか、

「今日も慶良間の島々が美しいねぇ」とか言って案内を始めた。

その日は確かに慶良間の島影がハッキリ見えて美しかった。

「慶良間といえば……」と、僕の方から多嘉良のおじさんに話しかけようとした時、

綾門大道を見下ろしていたおじさんは、

「慶良間!あっ、今日は慶良間のスイカが来る日じゃないか!こりゃいけねぇ!」と、叫んだかと思うと、

スタコラサッサと木曳門から出ていってしまった。

ふと我に返る。そして思う。

なんだか楽しい。

もちろん今までの会話は僕の妄想なのだけど、なんだか楽しい。楽しいものは仕方がない。

一冊の本から想像し、現地に行って想像し、そして勝手な妄想へ暴走する。

そんなこんなで、新たな現地での楽しみ方を、ついに僕は見出したのだった。

今思う。これって某国営放送の番組「タイムスクープハンター」じゃないの?

と、自分突っ込みを入れてみるが、違う!

僕のコレは、もっと稚拙です。

ちなみに書いておくと、僕は変態でもなんでもなく、妄想中もニマニマヘラヘラなんてしてないと思うので、

僕を知っている人々よ、引かずに温かい目で今まで通り見守ってください。

 

 

 

さて。

随分と自己紹介も兼ねた前置きが長くなったが、

今回、沖縄旅行の妄想のステージに選んだ題材は小説ではない。琉球の実在の人物・オギヤカという女性だ。

『琉球戦国列伝』(上里隆史著)では80ページに登場する、やや冷徹気味のクールビューティ。

 

 

とにかく初めて知った時のインパクトが、ものスゴかった!知れば知るほどオギヤカに興味がわいた。

 

●クーデターにより第二尚氏の初代王になった尚円(金丸)の寵愛を受け、

●尚円亡き後、二代目王(尚円の弟)の尚宣威を策略により追い出し、

●自身の息子(尚真)を王にし、

●幼い我が子の代わりに政権を我が物とし、

●第二尚氏のお墓に入る人たちを決め、

●それを守らなければ、呪い祟ると脅かす……。などなど。

 

清朝末期の西太后を彷彿させる、実に恐ろしい女性だ。

でも、僕は単なる自分本位の悪女という印象を、オギヤカには最初から持てずにいた。

だって、王妃であっても政治の世界は男社会であり、権力を手にするには協力者が必ず必要なのである。

つまり黒幕説が頭をよぎる。オギヤカは悪い男(第三者)に操られていたのでは?と、

つい妄想の種が生まれてしまう。

もとい。王妃という立場に少しでも立ってしまえば、我が子を王にしたいと願うのは当然の感情で、

現代のモンスターペアレンツみたいに、やり過ぎちゃった的な女性だったかもしれない。

母性ってそもそも生々しいイメージがある。ましてや妄想の黒幕説をさらに膨らますと、そこに見えてくるのは、THE女・オギヤカなのであった。

しかも、生涯を通じてモテ男だった尚円(金丸)の寵愛を受けた女性でもある。

見た目は断然に美しいイイ女だったに違いない!

あっ、そうか。僕がオギヤカに興味を持ってしまうのは、単なる男のサガなのかも知れない。

 

(玉陵)                    (玉陵の碑)

 

 

今度、訪沖した際は、また玉陵にでも行ってオギヤカの墓参りでもしようか……

とうとう実在の人物が妄想の世界に登場しちゃうのか……

なんて、漠然と思ってたそんな時、

『ほんとうの琉球の歴史』(角川フォレスタ 渡久地十美子著)という本に出会った。

夢中で読んだ。読了後、ほどなくして刊行された、続編の『尚円王妃 宇喜也嘉の謎』も夢中に読んだ。

それらには、僕的にトンデモ無い事ばかり書いてあった。

まず、恐ろしい決まり事を自分で決めた第二尚家の墓にも関わらず、玉陵にはオギヤカはいないという。

じゃあ何処?

やっぱりオギヤカの石棺があるという伊是名玉陵なのか?

それも違う!いや、強くありえない!とさえ書いてある。

著者は言う。オギヤカ本人から信号を得て、嫌々ながらも希望通りに山川陵にお連れした、と。

山川陵……。

それ何処?

 

(伊是名玉陵)

 

読了後、オギヤカさんを中心に玉陵と伊是名玉陵と山川陵が、頭の中でぐるぐる回る。

お墓が回るのは、あまり気持ちの良いものではないけれど、兎にも角にもこの両本によって初めて知った山川陵に行かねばなるまい!

と鼻息荒く、いつものように暦とイベントと、仕事のスケジュールと、今回はJALのマイルをチェックして、

来るべき沖縄旅行の準備を始めたのであった。

 

 

長くなったので、つづく

2013年07月01日

ほんとーく 多田明日香(第3回)

ほんとーく、今回は沖縄県浦添市でBook cafe bookishを営む多田明日香さんの第三回目です。

 

 

 

 

子供の頃から動物が好きでした。自分よりも大きな犬に平気で近づいて行く子だったようで、それを見ている大人が怖かったらしい・・・。でも、生き物を飼えないアパート暮らし。子犬・子猫を拾ってきては怒られる事、しばしば。そして泣きながら逃げる先は動物が出てくる本。シートン動物記や椋鳩十全集、ムツゴロウさんや大きな動物事典。

ブッキッシュの奥の部屋「こどもと」の席にはそんな私が子供の頃読んでいた本が多く並びます。

 

 

 

 

先月、「こどもと」の席にはじめていらした親子連れのお客様、小学校4,5年生ぐらいの男の子とご両親。熱心に本棚を見ているなぁ~と思っていたら、紅潮した顔のお父さんに声をかけられました。「20年以上も探していたこの犬の本、譲っていただけないでしょうか? 大切にしていたのだけど貸したら返ってこなくて、この子にも読ませてあげたいのです。」と、残念ながらその本は私もずーっと大好きで大事にしてきた本。でも、お父さんがそこまで思う気持ちもよくわかるし、子どもにも読ませてあげたいという話も素敵だなと。「知り合いの古書店さん達に聞いて探してみるので時間をください」と伝えて、その日は一旦お預かり。そうしたら若狭のちはや書房さんから「状態は少し悪いけどあるよ!」との連絡。そのことをお父さんに伝えると「見つかっただけでもうれしい!」とのお返事。後日そうやってやってきた本を喜んで引き取って帰られました。そんな事があって、思い出した自分自身の子供の頃の読書遍歴。あの男の子もいつか、こういう風に思い出してくれるといいなぁ。と早速、その本を読みかえしたのは言うまでもありません。

 

 

 

 

同じく先月、ブッキッシュで開催したイベント猫毛(ねこけ)祭り、昨年に引き続いて沖縄では二度目の開催。このイベントを引っさげて全国巡回している猫毛フェルターの蔦谷さんもきっとそんな子供の一人だったんじゃないでしょうか?(蔦谷さんの場合は猫の占める割合が大きいと思いますが)著書『猫毛愛』からもそんな様子が伺えます。かなり「たわけ」な(あっ、ご本人が本でそう書いてるんですからね!)猫毛愛に溢れ、猫に関する文学作品が並ぶ内容です。

猫の毛を集めてハンドメイドするこういう世界があることを初めて知った時はとにかく目が点。正直、実際に作品を見るまではピンと来ませんでした。でも今年は企画の段階からどんな作品がくるのかワクワク!そんな猫毛の世界に巻きこまれた芸術家の作品も並びました。そしてワークショップに参加してくれた常連さんのお子さん「私、夢で小さい動物作る夢見たの!これだったんだ!」と。

ここにもう一人、本好きで動物好きの少女が!ウフフ、将来が楽しみです。

 

 

 

 

 

私事ですが、この2つの出来事と前後して、初めて自分の犬として飼っていた愛犬ハッピーを亡くしました。14歳だったので大往生だったのですが、それでもやはり、日に日に衰えていくのを目にしながら、これまでのことをいろいろ思い出していました。拾われて来た初めての日、震えていたこと、図書館の仕事から車で帰ってくると尻尾をぶんぶん振って迎えてくれたこと、子犬を産んでお疲れで熟睡していた頃のこと。私が司書になりたてで、毎日が楽しかった時も、仕事がうまくいかなくて悩んでいた時も、そしてブッキッシュをはじめて右往左往している時も、ハッピーはいつも傍にいてくれました。楽しみであり、逃げ場所でもあったハッピーの存在。もう少し一緒にいて欲しかったなぁ・・・。と空っぽの犬小屋をまだ片付けられずにいます。

 

 

 

 

私にとって、動物の本に限らず、何度も読み返す絵本はハッピーと同じ。楽しみと同時に逃げ場所でもあったような気がします。それは子供の頃には(今も?)必要な世界だったと思います。先程のような親子連れだけではなく、「こどもと」の部屋で懐かしい絵本を見つけて没頭するオトナのお客様の様子を見ていると、あっ私だけじゃないんだ!と嬉しく、ほほえましく思います。親の中には子どもが「同じ絵本や同じ分野の本しか読まない」といって心配する方が多いようなのですが(時々質問されるのです)、自分が懐かしく思う絵本を思い浮かべてみてください。やっぱり何度も繰り返して読んだ本ではないでしょうか? なので、心配せずにお子さんが気に入っている本は何度でも読んであげたり、読ませてあげてください!

(ってあれ?何の話だったっけ?)

 

多田明日香

2013年06月14日

ほんとーく 小川彰(第5回)

愛知県の犬山市で「珈琲ふぅ」という素敵な喫茶店を営む

 

音楽と珈琲と野道を歩くことを日々楽しんでいらっしゃる小川彰さんに

 

5回目の<ほんとーく>をしていただきます

 

 

五月は長崎へ島歩きの旅に出かけた。訪ねた先は松浦半島沖の福島、飛島、鷹島と彼杵沖の池島だった。今回は僕の渡った129番目から132番目の4つの島の中で、飛び切り小さな飛島のことを話してみよう。

まずは僕の島旅のバイブル、そろそろ改訂版が出て欲しい『SHIMADAS』の2004年版から飛島の頁を開いてみると、飛島(とびしま)の所属は長崎県松浦市、周囲5.9km、人口84人、年間来島者2000人(だけ!)とある。歴史的には元寇襲来の戦場となり、江戸後期には石炭採掘が始まり、昭和14年に炭鉱が開発され、最盛期には年間10万tを出炭し、昭和35年には人口2023人を数えたが、昭和44年に閉山した・・・など記されている。

 

 

 

すぐ東の福島と北の鷹島はすでに架橋されていてバスで行くことができるが、飛島には船で渡るしかない。フェリーは松浦市の今福港から出ているのだが、港に着いてみて、まず来島者2000人の島に渡るにはとんでもなく場違いなフェリーの大きさに驚いた。元寇ロマンの島として売り出し中の鷹島に行く前に立ち寄るのだからと納得はしたものの、朝7時40分発の第一便の乗客は10人足らずで車は一台もなしののんびり航海で、20数分で飛島の桟橋に降りたのは僕の他には3人の釣り人だけだった。一日にしたら数人強の来島者だからいつもこんな港風景なんだろうな。

 

 

 

平成3年修正測量の2万5千分の1地形図『今福(いまぶく)』の飛島に描かれている人の暮らしの証といえば、海岸線に沿った実線(幅1.5~3m)1km弱と破線(1.5未満)がさらに1kmほどの道路と、あとは建物が30棟あまりと、神社がひとつ、学校がひとつと、わずかな畑の記号だけだった。

 

まず僕を出迎えてくれたのは港から路地に向かう小さな広場にいた20匹をこえる猫たちだった。すぐにこの島は犬のいない島なのだなとピンときた。島には猫たちに餌を分けてやっている島人たちが何人もいるんだろうな。カメラを向けても逃げようともせず、前足で洗顔中だったり、古い一輪車の上でまだ夢の中だったりと、のんびりとしたものだ。これは島人たちもきっとおっとりと日々を過ごしているお年寄りばっかりに違いないな。

 

 

 

地図に載っている島唯一の公共施設である学校を訪ねて見ることにした。といっても港から坂を2、3分登ればもう小学校のはずだったが、『SHIMADAS』にかわいい木造校舎の写真が出ていた場所はすでに建物の跡はなく、すっかり草生した空き地と化していた。ただ、松浦市立今福小学校飛島分校跡と刻まれたまだきれいな碑が建ち、裏には明治30年開校から平成17年に廃校になるまでの沿革が綴られていた。

 

碑の台座に腰掛けしばらく海を眺めてから、神社に上ってみようと思ったが、小径らしきはすっかり草に埋もれているようで、誰かに聞かないとわからないなと海辺に戻ったら、竹箒で掃除をしていたおばあちゃんから話しかけられた。

 

「どこからきんしゃったと?」「名古屋の方から」「なにしにきんしゃったと?」「島を歩いて旅するのが好きなんです」「何もないじゃろ?」「おばあちゃんやのんびりした猫たちがいるだけで嬉しいんです」「そりゃ嬉しいねえ」・・・「猫がぎょうさんおるけど犬はおらんのですねえ」「この島は昔から犬を飼ってはいかんのじゃ」「今は何人ほど暮らしてるんですか?」「もう数十人になってしまったなあ」「あそこに鯉のぼりの竿が見えるけど小さな子もいるんですねえ」「ああ、あれは今福に家建てて引っ越したんじゃけど時々来るんじゃ」「炭鉱の名残は何かありますか?」「ボタはまだ残っとる」・・・

 

それじゃあと、炭鉱のあった方へ歩いてみることにしようと南に向かうことに決めた。日向ぼっこで海を眺めてるお年寄りと軽い挨拶を交わしながら10分も歩くと、斜め上方に海に長く突き出したコンクリートの突堤みたいなのが草むらの向こうに見えてきた。もう少し進むと、今度は小径を挟んでコンコリートを錆びた鉄枠で囲った高さ数メートルの古い支柱が何本か並んでいた。そうか、左手の小山の地下に炭鉱があって、そこから石炭がこの支柱の上をコンベアで海に突き出た突堤に運ばれ、船で積み出されたんだろうな。ボタ山まで行こうと思ったけど、それより、さっき廃小屋にしゃがんでいたおじいさんに、島が賑やかだった頃のことを聞きたいので、ここで戻ることにしよう。

 

さっきのおじいさんはさっきと同じ場所でさっきと同じようにのんびりと煙草を燻らせていた。

 

「暑いですねえ」「そやけ日陰でぼーっとしとるんよ」「廃鉱の名残りを見てきました」「もう40年以上経っとるから草ぼうぼうじゃろ」「昔は賑やかだったんでしょう」「昭和30年過ぎには2,000人以上おったから、そら夜遅うまで明るかったし、小学校の生徒も400人以上おったけど、廃鉱になった途端、あちこちから集まってた鉱夫たちは一瞬に消えて、もともといた島の漁師だけになってしまった。今おるここも元は炭住がひしめいておった。」「おじいちゃんもまだ漁に出とるんですか」「出るけど、今はこの島はイリコ加工とナマコ獲りくらいで、もう遠くへはいかんね」・・・

 

港へ戻っても次の鷹島行きのフェリーまでまだ30分以上あったので、眩しい陽差しを避けてフェリーの待合小屋で時間を潰すことにした。4畳半ほどの小屋のベンチに腰を下ろしたら、対面に「ようこそ飛島へ」と紙細工の花で飾られたメッセージが貼ってあって、隣の小さな本棚に数十冊の本が並んでいて、6時で止ったまんまの柱時計の下には「ご自由に利用ください。読み終わったら書棚に戻してください。」という貼り紙があった。並んでいる本は意外や最近人気の東野圭吾の文庫だったりして、この島のお年寄りたちは新しい本に飛びつくくらい元気なんだなあなんて感心したのだが、僕の目がいった先は『ふるさとレポート~長崎県の自然と生活』という一冊だった。

 

 

県の高校の地理の先生たちがまとめたもので、高校副読本みたいな堅苦しい本だろうなと開いてみたら、これが島の人々もたくさん登場して、自分たちの暮らしをたくさん語っていたりして、じっくりと読んでみたくなってしまう郷土本であった。1988年の発行なので、その頃の夢と今の現実の食い違いなどもすごく興味深そうなところだ。

船が来るまでにはとても読みきれるもんじゃないし、またすぐに続きを読みに戻ってくるわけにはいかんし残念だなあ、と本棚に戻そうと思ったら、小さな紙に「ご自由にお持ちください」とも書いてあるではないか。本当に持ち帰っていいのだろうかと思ったのだが、この際島の人びとのお言葉に甘えてしまうことにしよう。

 

フェリーが近づいて来るのが見える頃になって、この島で最初に話をさせてもらったおばあちゃんが、もうふたりのおばあちゃんと一緒に待合所にやってきた。「おばあちゃんたちはこれから飛島へ?」「いやあ、船が見えるといつもここへ来てこのベンチに座るのが好きなだけよ」「それじゃ写真一枚」「ほい、また来てな」・・・

そのおばあちゃんは、ちょっと恥ずかしそうな他のふたりの横で、にこにこ顔でVサインをしてくれた。そして船上の人となった僕にしばらく手を振ってくれていた。

 

 

またきっと飛島へ来よう。それなら今日出逢ったお年寄りたちが元気なうちに来たいね。そうだ、それまでには読み終わっているはずの『ふるさとレポート~長崎県の自然と生活』をこの待合室の小さな小さな図書室に返しに来よう。

 

 

小川彰

2013年05月15日

ほんとーく 多田明日香(第二回)

 

ほんとーく、今回は沖縄県浦添市でBook cafe bookishを営む多田明日香さんの第二回目です。

 

 

私が、大好きな絵本の一冊にいせひでこさんの『ルリユールおじさん』(理論社)が あります。大切にしていた植物図鑑が壊れてしまい、しょんぼりしていた 少女が本を直してくれるおじさんと出会って・・・という物語です。本好きならきっと吸い寄せられる絵本。

私がこの絵本と出会ったのはブッキッシュのオープンから半年過ぎた頃でした。不器用な私にとって本は読むもの。「作る・直す」そこから広がる 本への愛情がすごく心にしみた絵本です。

 

*ルリユールとは古くなったり、傷んだ本を修復し生まれ変わらせること、手製本などのこと

 

 

その後、お客様として出会ったオバネヤさんという女性がまさかのルリユー ルお姉さんだったなんて!その技術を目の当たりにしたのは2年前。本が傷んでしまったと相談を受け持ち込まれた、多肉植物の図鑑(偶然!)を見事に蘇らせた彼女。その様子は こちらから→

本を直した彼女にも、そこまで本を大事にしてくれた人がいる事にも大感激の一件でした。その後、本好きの為の教室をと思い立ち「手製本教室」を開催。最初の課題は「マー ブル紙」作りで、本の歴史の発端からはじまり、「和綴じ本」・「豆本」・ 「文庫本をハードカバーに」等に取り組んできました。この手製本教室、今ではサークル状態で 、次回の課題をみんなで考えたり、作成の合間に今読んでいる本の話題等で盛り上がったりと毎回きゃっきゃとやりながら、4月で第15回を迎えました。

 

 

 

 

あらためて「なぜルリユールをしようと思ったの?」と、オバネヤさん に聞いてみました。彼女がその世界と出会ったのは、美術系の大学の通信部で 選択した「編集計画」というコース。そこでは、本の構造や歴史などを学んだとの事。はじめに担当教授に「オタクの世界へようこそ!」と言われたとかいないとか。(なんでも本の収集というのは「世界で最古のオタク文化」とも !)そして、元々絵を描いたり何かを創作したりすることが好きだった彼女は この世界にのめり込んでいったそうです。でも、周りの人にはずーっと理解されず、図書館の司書すら話してもぽかーんとされたとか。確かに私も、本の修理(落書きを消したり、ページの抜けた本を手直しするという業務があるのです。)は図書館の業務で初めて知った事で、学科ではなかったかも。(記憶違いならごめんなさい)なので、手製本教室のオバネヤさんは まさしく水を得た魚!毎回熱弁をふるってくれます。

 

 

 

 

ではせっかくなので参加している方々にも「なぜ、手製本教室に参加しようと思 ったの?」と聞いてみました。

・本が好きで、本の仕組みを知りたくて!

・あの図鑑を直した事に感動して、自分でも作れるのかな?って

あと、本好き=紙好きも多いような気がします。  参加者の皆さん、最初は「のど」とか「小口」「チリ」といっても????だっ たのが、最近では作りながらそんな用語が自然と口をついて出てくるようになりま した。

 

*のど=本をとじてある部分のこと

*小口=「のど」の反対側の部分。めくるところです

*チリ=表紙で本文の用紙からひとまわり大きくはみ出した部分のこと

 

毎回、オバネヤさんが採寸して材料を揃えてきてくれる手製本教室。今年中には 20回を記念して、各自好きな大きさ、好きな綴じで手製本を作る作品展的なものも開催してみたい(言っちゃったよ!)

 

そして最終目標は革製本!だったっけ?

 

 

 

NEWS お知らせ
2018年01月10日
第1回ジュンク堂新春古書展「旅する小書店 トークイベント」宮里綾羽×山田紗衣 2018年1月27日(土)15:00~ ジュンク堂那覇店
2018年01月10日
下北沢の本屋B&Bで『本日の栄町市場と、旅する小書店』刊行記念、宮里綾羽×大竹昭子トークイベント開催。 日時2/3(土)15〜17時、料金1500円+1D500円。 詳細はB&Bサイト→http://bookandbeer.com/ 東京近郊の方はぜひどうぞ〜。